みちのく潮潮風トレイル番外編-今回は単独で出かけた。
重茂半島は思いの強い場所で、閉井崎(北の突端)までぜひ行きたかった。でも歩きで半島を1周するのは大変すぎる。そのためここは自転車で回ることにした。自転車の知識はあまりないが、折り畳みで車に積みやすく、かつ電動アシストだと楽なんじゃないか?という中途半端で安易な発想(自分の足で行きたいのか?動力に頼りたいのか?)により、昨年パナソニックのオフタイムを買っておいた。
前日に宮古へ移動。106号は便利になって、盛岡の飯岡あたりから1時間15分ほどで着いてしまった。
釣り人がいる。向こう岸に見えるは重茂半島。月山が間近に見える。
いかにも高級な雰囲気。高いホテルなんだけど、1度くらい泊ってもよかろう・・しかし現地決済にしなかったというミスで、「いわて応援プロジェクト」の割引が受けられずショック!
その時自分のなかで「もし今回雨降りだったら?さっきの駐車場で隣の車にぶつけていたら?もし重大な病気が見つかったら?」とかいろいろ考えて、「もっと大変な出来事に見舞われるよりずっとましだ」というような合理化により自分の心を落ち着かせたのだった。
ビジネスホテルに比べたらこの景色を朝晩、眺められたのは良かった。
翌朝6:30~の朝食に時間があったので遊歩道を降りてみた。左に回り込めば浄土ヶ浜。
野球の試合があるらしく、ユニホーム姿の高校生たちや車が集まっていた。
いよいよ出発。結構な距離とアップダウンだが、電動とはいえこんなミニベロで行けるのか?と不安だった。電池はロングドライブモードで50㎞持つことになっているが、それも間に合うのかわからない。
3.11大震災では波がこの堤防を越えて津軽石を飲み込んだのだった。
仲良し海鵜の3兄弟。
昔と変わらぬ海岸沿いの細い道は、磯の香りが強く懐かしかった。ほとんど平坦で、あっさりと白浜に着く。
白浜からの登りは峠まで25分、自転車で登り続けるのは無理であった。電動アシストは踏みだしの時に効くが、漕ぎ始めるとすぐ弱まる。急坂では押して歩いた。すると自転車自体が重くて・・ん?ブレーキが掛かってるんでないか?と確かめたりした。
分岐を左に進むとすぐ下りとなり、奇声を上げて快適に下っていく。
ここからは閉井崎に向けて進むが、登りと下りの連続だ。ただ、それほど急ではないので比較的押して歩く部分は長くなかった。
のんびりした田舎で、所々に民家がある。
荒磯の分岐から約1時間、自転車を置いてそれらしき山道を進むと黒崎神社に出た。閉井崎灯台を目指したが最後に迷ってしまった。この辺は標識が朽ち果てていて分かりにくかった。地図で見ると灯台はここより右側にあるので、大浜漁港方面に下って左の民家の辺りから入るみたいだ。
本当に美しい地の果てだ。ほとんど観光客が訪れることもない。
昔の人が、こういう場所に神が宿っていると感じたのも自然な気がする。
荒磯浜分岐から閉井崎まで往復2時間だった。自転車も大変だけど歩きだったら1日仕事だろう。なんといっても道の半分(下り)は勝手に進んでくれる。時間的にはなんとか行けそうな目途がたってきた。
しかし音部から重茂までは登りきつく、ほとんど自転車を押した。
丘陵上の重茂集落に辿り着いた。汗だくになり自販機でペットボトル2本を補給した。重茂中学校・・窓に生徒会スローガン「温故知新」とある。なんかほのぼのしてるなぁ。
大きな橋を渡りながら重茂の「里」を見下ろす。右側に大きく回りながら快適に下っていく。
重茂川に沿って緩やかに登っていくと、小さな道の駅があった。数組の中年夫婦がドライブに来てラーメンを食べたりしていた。私は外のベンチで旅の記念にソフトクリームを頂く。
バニラもあるんだけど、ここでしか食べられないだろうと思って。潮の香りと微かな塩味。まずくはないけど、一般には広まらないだろうなと思う。それにしてもこの盛り、おなかいっぱい。
ここまでずっと登りっぱなし。急ではないけど大腿四頭筋が限界に達して、時々押して歩いた。ここまで本当に辛かったが、まだもう少し登りが続いた。昔ここを下って魹ケ埼灯台まで往復したが・・今はその体力はない。
坂を一気に下ると「千鶏」に出た。向こうに見えるは船越半島。
中学3年の夏一人で重茂半島の自転車旅をした。自分の知らない世界に足を踏み入れたような、不思議な気分になったことが思い出される。40数年ぶりだ。妙なことだがこの地は自分にとって特別であり、車でなく自転車で来ることが夢だった(ので嬉しい)。
集落の海岸近くは震災でかなりやられたみたいだ。
千鶏を振り返り、ふたたび登る。
わずかな登りを一つ超えて下ると漁港があった。お父さんと小さな女の子が散歩していた。
ここから延々と登りに掛かる。やっと川代漁港に降りると、ここから山田町だ。
そしてまたここから延々と登りだ。曲がり角の向こうはそろそろ下りだろうと期待するが、また登りで裏切られる。だ~れも居ないので道が人格化されてきて「ざけんじゃね~!」とか叫びながら進む(でもこうして厳しくされるのが、なんか嬉しいんだよなぁ)。
漁港と漁港の間、長いところは5㎞ほど登りが続くように思われた。登りを漕ぐのは諦めた。
しばらく下りが続き、またもう一登りあるのかなと思っていたら山田湾の大沢だった。
中学の頃の記憶だと、山田はもっともっと遠いと思っていた。
あの時は夕方に近づいて心細くなり道を急いでいた。道は永遠に続くかと思われたが、不意に木々の間から山田湾が見えた。ちょうど夕日が海に反射して黄金色に輝き、見たこともない美しさだった。海を囲む町に人間の営みを確かに感じた。その時の感動を解説することは困難だが、自分の宝物になっていることは確かだ。
45号線に出たところで、お店の軒下に座ってパンと缶コーヒーを頂く。そして45号線の最後の登りに掛かる。なだらかな登りを漕ぐが、中途半端にしんどい。豊間根の手前が工事中で一方通行になっていた。そこの数百メートルを漕ぐ間、坂の上の車を待たせねばならず焦って大変だった。
豊間根から先は下り、そして駒形橋を渡る。運動公園の駐車場に着くと愛車が待っていた。シートに身を預けるとほっとした。
オフタイムは電池をだいぶ節約してON・OFFしながら使い、到着時は残1㎞だった(良心的に出来ていて最後は中々ゼロにならなかった)。自転車は歩きよりずっと早く進むことができた。しかし大腿四頭筋のみの負荷がすごくて、また中学3年の自分と60に近い自分の違いも実感したのだった(そんなことわかり切っているはずなのだけど)。