2022.10.1
宮古まで106号線ひとっ飛び。夕方の空いている時間帯を目指して、「蛇の目」で海鮮丼を食べるのが今日の第一目的であった。
様々な具が「これでもか」と重なり乗っかっていて、ご飯を掘り出しながらいただく。人生最高のちらし寿司でした(上ちらしはタマ、私は北三陸ごはん・・)。
あら汁は肝のコクに感動。本当においしかった!また来たいです。
駅の右側に、かわいい三鉄のグッズ屋さん(オレンジの看板)がある。
ほっこりとしてかわいい感じの駅前。でも北三陸をずっと歩いてきて、この辺りじゃ随一の都会だな~と思う。自分はこれまで、超田舎のマイナーな地域で生まれたと思ってきたが、実はそうでもないんだな。
まだ早いので、シートピアなあどの海手をぐるりと歩く。釣りをしている人、犬の散歩をしている人がいて、広々してのんびりした空気が良かった。
あっという間に日が暮れてきた。対岸の藤原方面の上に、三日月がきれいだ。
前回も泊まった藤の川にあるルートイン宮古泊。
2022.10.2
藤の川からはタクシーで国民休暇村宮古へ。3.980円なり。
トイレなど使わせてもらい、出発はちょうど8:00だった。
周辺の遊歩道はアスファルトで舗装してある。
すぐに絶景が現れる。北の方角に西洋風のお城のようなものが見える。バブル期に建てられたサン・オーエンだと思う。できた当時は、日本はこの先どこまで発展するんだろう?と思ったものだ。それがわずか30年前のことだ。
昭和天皇・皇后様が来られたらしい。その時に整備したのだろう、デザインが昭和的で立派な展望台だ。
アップダウンはそんなにきつくない。
砂浜を一つ越える。
すすきの穂が秋を告げている。
「ここから降りて行って波にのまれて死んだ人があります」と書いてあった。
息子が小さい頃、早朝に2人で来たことがある。あの時はもっと高く上がっていたな。
しばらく海に近いところを進み、石ころの浜に出る。寄せては返す波・・ずっと眺めていても飽きない。
沢沿いに入っていくと、薄暗い苔むした杉林になった。延々と続き、峠を越えてまた海方向に向かう。
しばらく下り、人家が現れたと思ったら大沢の集落だった。
防波堤の奥の所にあるのが、ロウソク岩なのかもしれない。
いたる所が美しい。
山道を進んでいくと、不意に広い墓所に出た。トレイルがそのまま墓所のメイン通路となる。それにしても海が見下ろせる素晴らしい所で、海に生きたご先祖様も満足かもしれない。
そのまま尾根上の舗装道路に出ると右側が開け、足下に鍬ケ崎の町があった。
そしてトレイルの標識に沿って左に曲がると248号線をくぐり、曲線の橋が続く。左手に公衆トイレがあり使える。
蛸の浜は昔砂浜だけだったと思うが、今はきれいな道路ができていた。もし若かったら?デートに良さそうな場所だな~。
ここで車道は行き止まりになり、人間用トンネルがある。
ドキドキしながら入っていくと、いきなり人感センサーのライトが点いた(蛍光灯型のLEDかな)。田野畑のワイルドな手掘りトンネルとは全然違う。
子供のころ(50年も前になる)1度だけこのトンネルを歩いたことがある。探検をしている気分になった。そしてトンネルというものは不思議だ、向こう側が異次元の世界のように感じたのを覚えている。
トンネルを抜けるとすぐレストハウスがあった。予定にはなかったが、ここで「浜ラーメン」をいただく。潮の香おりが強く、疲れた体に塩分が染みわたり、最高においしかった。しかも出てくるのがすごく早い!ごちそう様でした。
バスで団体客が来ている。
定番すぎる?恥ずかしいが証拠のために写真撮影。
忍者のような恰好で観光客に交じって、海沿いの遊歩道を行く。観光船発着所を過ぎ、浄土ヶ浜ビジターセンターの下に着く。ここでエレベーターには乗らず建物の左を登り、左手の山道に入る。
平坦な山道をしばらく行き、最後の登りだ。
宮古漁港を北側から見下ろす。昨日歩いたシートピアなあどや魚菜市場が見える。ちょっと木が茂り過ぎで、展望はそんなに良くない。
ここから急な階段を下ると鍬ケ崎の入り口に出た。
高い垂直の堤防の、港側を歩く。「進撃の巨人」の壁みたいになっている。所々小さなアクリルかガラスの窓があるけど・・住人にとってはホントに景色が良くないし、海風が来ないだろうなぁ。安全のためではあるけど、低い土地には人が住まないという方法はなかったのだろうか?でも個人の自由もあるから、それも難しいんだろうなぁ。
鍬ケ崎の平地部分は空き地が多い(売地もあります)。かなり津波の被害が大きかったと思われる。
この斜面の構造物は何か?と不思議だったが、左側から道路が上がっており構造物の3階に相当する部分が道になっていた。そして右側がトンネルになっている。
大家さんが巨人ファンなのか?またはでかい人ばかり住んでいるのか?まぁ前者でしょうね。1階部分は鉄骨むき出しになっており、津波でやられたものと思われる。
震災の時市役所があった場所。若い夫婦が子供を遊ばせている。今どきの親子って、どこでもこうだよなと思う。近所の子供たちが勝手に集まって遊んでいるという風景は、もはや見かけない。
読んでみました。素晴らしいですね~。
うみどり公園からそのまま階段で上がる。ほとんど歩く人はいないと思われ、階段はゴミや土埃で汚れていた。自分も足でこの橋を超えるのは初めてです。
震災当時、この堤防を津波が超える映像が何度も流れたものだ。こうしてみると薄い堤防だけど壊れもせず、けっこう町を守ってくれたような気がする。
市民会館とホテル近江屋を通り過ぎてすぐのところに個性的な店発見・・でも閉まっていた。不景気だしな~、無理だよな~。
後半は両ひざが痛み出し、やっとの思いで到着した。長い平地を歩くと決まってひざに来る悪い癖。でも時間的には、宮古大橋からわずか1時間だった。車道がいかに早く進むことができるか、地図で見るとよくわかる。