朝から一風呂浴び、気合入れていざ朝食!
普段は朝こんなに食べないんだけど、なぜかお腹に収まる。息子は大盛りごはんをおかわりしていた。
空は快晴、海は凪ぎ。しかしここは昔から津波被害を受けてきた土地であった。
―綾里の高台に立つ明治三陸大津波伝承碑によると「1896(明治29)被害戸数296戸溺死1350人を数え、この地にて本州津波史上最高の38・2m(メートル)の波高を記録する」―
車で駅に移動。ここから大船渡に向けて歩き始める。
駅から下って右折して振り返った所。昨日トイレだけ借りて、何も買わなかった駅前の明治屋。
すいません・・今度通りかかったりなんかしたら買うつもりでいます・・。
左にカーブしながら坂を下って行く。おしゃれな建物だなと思ったら小学校の門。そして奥の校舎も統一されたデザインだった。ネットで調べると、東日本大震災では小学校の1階部分が浸水被害を受けたという。更に少し行くと左山手に綾里中学校の表示。
綾里は家が密集していて結構大きな集落だ。ホントのルートは綾里埼展望台まで行って戻り、内陸に入って不動滝~綾里峠を超える山ルート。でもここは勝手に半島をショートカットし、かつできるだけ海岸線を歩くルートに変更した。
橋を超えて9号線をそのまま進み、八ケ森トンネルを超える。緩やかな山道を進んで合足(アッタリ)という分岐点に着く。そこで車の誘導をしはじめた人がいた。聞くと、今日は海岸清掃のボランティアをしているとのこと・・感心だなぁ。
分岐を海側に進み、長崎漁港に向かう。途中で津波石の標識あり。
ここまで曲がりくねった山道で、緩やかだけど登り下りが続いた。綾里大橋から約2時間もかった。なんだか予定を大幅にオーバーしそう(今日もかい!)。
自販機の冷たい飲み物を買い、日陰でしばらく休んだ。この角を右に曲がるときれいな公衆トイレがあった。
漁港から登った丘陵地にある喫茶店。
大船渡湾に入ってからの、大船渡(盛)は遠い。でも道がほとんど平坦になってきたのは助かる。
セメント工場の橋を渡って街に出てすぐ、ラーメン屋を見つけた途端力尽きました。疲れた体に沁みました・・旨かったです!
「ぽぽろぽろ~ぽぽろぽろ~そぼろごは~ん」
久慈駅の作りと似ている。左が三鉄の盛駅、右がJR大船渡線の盛駅。
ただし盛~気仙沼はBRTというバスが、以前線路だった専用道路を走る。東日本大震災で被災した線路の復旧が難しかったからだと思うけど、、線路より維持費がかからないだろうから、有効な方法なんじゃないかな。
どちらも同時刻の15:20発であった。しばらく南に向かって並行して走り、三鉄は川を渡って左手の山に向かった。
今回の26日目の旅により、私の「みちのく潮風トレイル」は一応の目的地である大船渡に到した。この先になると1泊2日では往復の距離が長すぎて、中々難しいものがある。しかしどうしたものか・・これで終わりにしてしまうのは淋しく辛い。
3年間に渡る三陸ウォークが、いつの間にかライフワークになっていたことに気づく。この体験は自分の宝物になったと思う。そして三陸の土地と人と海が、本当に愛おしく感じる。
いつかもう一度、このルートを歩きたい。