久慈~小袖海岸へ 船渡海水浴場
不思議の国の北リアス
心のこと

心のこと・脳のこと1⃣2022.

2022.12.31
精神科の世界は矛盾だらけで、未だにカオスだと思う。
患者は治療を望まないが、家族が困っているという場合。あくまで本人の意思だからと治療をしないか?周囲への影響が大きいからと強制的治療に踏み切るか?その判断はいつもグレーゾーンで、白黒付けられない(海外に比べて日本の精神科は、家族や社会を優先する傾向が大きいだろうとは思う)。その判断を日々していくと自己矛盾が蓄積して、辞めたいなと思う。

もし自分が認知症になったら、こういう処遇を望むだろうか?身の回りのことが出来なくなったら、物を食べたいと思わなくなったら、そのまま最期を迎えたいと思う。
でも家族や介護の側からすれば、放置して死に至らしめることは罪悪感に繋がる。そこで医療が介入して身体拘束やら点滴やらの処置をするのだが。一旦やり始めると結局どこまでも処置を続けることになる。人生の最期、本人の意思と無関係に物事が進められてしまう。
それは本人のためではなく、家族や周囲の人のためにやっているだけのような気がする。

技術がここまで進歩してしまった今、大昔みたいに自然に任せるということは逆にできなくなった。本人の意思に任せて、自宅で家族が見守るだけで、自然な死を迎えてもらうなんていうことは、今の社会では老人虐待になってしまう。でも認知症の人のほとんどが本当はそうだと思うし、自分もそうありたい。
精神科病棟は社会の矛盾を引き受け、目に見えないようにしているだけ・・ある意味「必要悪」な存在と思う。

2022.12.24
「なかなか変われないうつ状態の人」のこと。どこの外来でも、こういう人がいる。眠れないとか意欲が出ないとか、頭が痛いとか、その他の身体不調。受診時にはいつも「最近はちょっと良いかなと思っていたけど、昨日は眠れなかった」とか、悪い点を必ず言う。表情はぱっとしない、不全感があって、つまらなそうにしている。大抵人間関係が上手ではなく、引きこもり勝ちだ。

仕事は病気休暇中の人もいるし、辞めてしまっている人もいる。病休中の人は期限が切れそうになると不安が高まり、延長の診断書を出すとホッとして表情が和らぐ。しかしそれを繰り返すと、復帰の敷居が高く感じられてくる。
無職の人は早く仕事を探さなければ、という焦りがあるけど自信もなく悶々としている。職安に行こうとするけど、その一歩が出ない。そうして何年間も経過している。女性が多いけど、男性は人に相談することが得意ではないので、受診していないだけなのかもしれない。

そういう患者さんに対して、私はいつも申し訳なさを感じてきた。患者さんは良くなりたい、元気になりたいという思いで、思いきって精神科の敷居をまたいでくれた。しかし抗うつ剤も睡眠剤も期待通りの効果はなく、ダラダラと経過する。精神療法が上手で、短い診療の時間でもバシッと的確な一言二言で(三輪明宏のように)、良い方向に向けることはできないものか?

しかし全然良くなっていないように見えるけど定期的に通い、短い診療時間にも「ありがとうございました」と礼を言って帰ってくれる。
なぜなのか?今思うのは、患者さんは周囲から評価されず、長いことダメな人間だと思って生きてきた。その辛さを症状として出して、何とかしようと一緒に考えてくれる場が診察だったんじゃないか?そこにちょっとした癒しがあって、少しの支えになっているのかもしれない。そう考えると5分の診察も意味があるわけで、大事にしなければと思う。

この状態である意味安定してしまっている患者さんに、何をすればいいのだろう?前に進めずそこに留まっている人たち。患者さんは今の状態は辛い。一方で変わることへの恐れもあるはずで、アドラー的には「その状態に居続けたい」という思いがあるはず。こちらが勝手に動かそうとしても不安が高まり、抵抗が起きるだろう。

これだという答えはないのだけど・・本来の自分らしさを取り戻すには何をすべきか?を考える必要があるんじゃないかと思う。その人が子供のころ、素直に感じた興味・喜び・感情(悪い感情も含めて)を取り戻す。生きてきた中でそれらが否定され、抑圧されてきた。押しつぶされ、自分はだめだと思っていて・・しかしそれは大抵思い込みだったりする。

逆にそれらを跳ね返して、自分らしさを発揮できた人は前に進んでいけるんだと思う。
たとえば芸術家として成功している人はもともと個性的だから、生きていく中で否定的に扱われることもあるだろう。でもそれを乗り越えられた人なんじゃないか。

それ以外の社会の歯車になって生活を営んでいる人たちは、そこまで否定されなくて済んだかまたはサバイブして、何とか自己評価を保って今に至っているということだろう。みんななんとかかんとか、ギリギリの所だと思う。自分も患者さんと紙一重だと思うから、治療する側という気持ちにはとてもなれない。

2022.12.17
今日は認知症のウェブ研修会があった。そしてなぜか講師は私なのである。激しい後悔に襲われていた。面白い話なんかできないのに、なんで引き受けてしまったのか?不安ばかりが先に立ち、本質を掘り下げるような準備に向かえないまま、だらだらと当日になってしまった。研修会に参加する人には申し訳ないし、重苦しい日々を過ごした自分自身には無駄な負荷を掛けた。

用意されたテキストは立派な言葉が並んでいるけど、どっか現場から離れていて説得力がない。だからそこに書かれていることをただ読み上げるのは空しくて嫌になる。だからと言って、自分自身が語れるほどの何かがあるわけでもない。そもそもこんな状態で講義をするなんてことは無責任だ。一体なぜ引き受けてしまったのか?

まあ、でも仕方ない。ドタキャンしたりせずに社会人としての最低限の責任は果たした。死なないで帰ってこられた。こういう形で講義を引き受けるのはもう辞めようと思う。それが今回の一番の教訓だと思うことにする。

2022.9.23
昨日は久しぶりに全国規模の製薬会社主催Web講演会を視聴した。昨今精神科領域の注目はなんといっても発達障害だ。発達障害の中でも特に注目はADHDで、ASD(自閉スペクトラム症)やLD(学習障害)が併存してることが多い。一見単純だけどADHDには多動・衝動性が目立たない不注意優勢型があり、ASD併存の程度はどのくらいかが問題だし、ASDの特徴は人によって千差万別だ。だから正確に診断するのは熟練しないと難しいと思う。
そもそもADHDもASDもスペクトラムであって、誰でも持っている傾向が強いかそうでもないかで線引きされている。ADHDの最近有病率はどんどん高くなり、今や30人に1人だ。

全般性不安障害、パニック障害、社交不安障害、強迫性障害、その他の神経症全般について、発達障害の併存割合が高いことが分かってきた。うつ病、うつ状態、上司にパワハラを受けて会社に行けなくなる適応障害なども、背景に発達障害が多くある。それどころか以前は統合失調症と診断されていきた患者さんの多くが、実は発達障害だったことが分かってきた。従来統合失調症は人口の0.9%とされていたが、新しい発表はまだ聞いていないけど実際にはずっと低いはずだ。

昨日の講演会ではADHDとBD(BipolerDisorder躁うつ病)の併存割合が多いという。ADHDの多動・衝動性とBDの軽躁状態の区別が難しいという。こうなってくると、もうなにが何やらという感じだ。でも医療者側も患者さん側も、過去の精神医学に比べてお互いにすっきりして納得しやすくなった。これは精神医学が以前よりは正しい方向に向かっている証拠だと思う。
ASDの人がストレス状況により幻覚妄想状態を起こすことがある。過去には「統合失調症です、薬を継続する必要があります」と説明され、納得できなかったのは当然で、医療者側からは統合失調症のメタ認知の障害による病識欠如とされた。でもその時、本当は単に統合失調症という枠にはめることに抵抗があった。「独特の雰囲気、生まれ持っての個性の強さ、裏表のなさ、言葉を字義通りに受け取りすぎる」などと感じていた。現在ならASDの特徴を明らかにして、上手くいかない理由を検討し、環境調整について話し合う。むやみに薬を継続することも減った。逆に本当の統合失調症の患者さんも、ちゃんと納得すればそれぞれ病識を得て、治療を継続する人が多いと思う。

大学卒業とともに何もわからず飛び込んだ精神科は、自分にとっては地獄のように辛い世界だった。いつかやめようと思っていた・・55歳までに老後の資金を貯めて、あとは慎ましく生きていこうと。今でも地獄のような面は残っているけど、でも少しづつマシになってきたと感じる。

2022.9.19
高村友也さんの「存在消滅」を読んだ。死んで無になることの恐怖について、いろんな言葉を駆使して繰り返し繰り返し書かれていた。今まで読んだことのない種類のもので衝撃的だった。ここまで自分をさらけ出せることが凄い。生きながら、いつも死と隣り合わせのところにいる感じがした。でも自殺に至らず生き続けられるのは、多分ブログや本を通じて読者に共感してもらえることが大きいのではないか。書いて読まれることで人と繋がるということ・・結局人間にとって普遍的に必要なものの一つに、人との関係があると思う。人間だけでなく動物もだし(ユーチューブで人に撫でてもらいたがるインコを見た)、虫も植物も、子孫を残すために生殖があるわけだから。かなり原始的な時から生き物は他者とのつながりを必要とするんだろう。
著者は幼少の頃からおそらく「変わった子」と思われていただろう。小学校時代すでに死の恐怖を感じていたり、中学時代知らない土地の神社に行くことが好きだったり、大学に入って自己紹介の仕方が分からなかったり。発達障害という文脈で捉えるとどうしてもネガティヴな価値感が付きまとうけど、根源的問題が見える(見えてしまう)特性という文脈なら天才だ。

「物事の捉え方が一般的でない」という点で、直接的ではないけれど自分も似ているものがあると感じる。自分は小さい頃から、いつどこにいても居心地が悪く、宙に浮いている感じがしていた。ごく普通の人間関係というものがどういうことか分からず、計算して動いていた。実感としておそらく母子関係まで遡り、言葉を話す前からだったように思う。赤ちゃんの自分が、母親を喜ばすにはどうふるまえば良いか?怒らせないように何に気を付ければよいか?と、勝手に対処してしまっていた。だから人と接することは疲れることだった。大人になったら、入り口にからくりががあって自分以外は入れない家、誰も訪問してくる恐れのない家に一人で住みたいと空想していた。
本当の安心、これで満足、幸福感、そういうものは縁遠いものと思っていた。いつも焦燥感があって、回遊魚のように泳いでいることしかできなかった。山の中の温泉に泊まり、真夜中にお風呂に浸かっていたらのんびりした気分になるんだろうか?と試したけど無理だった。浸かった瞬間は気持ちいいけど、長く浸かっていればいるほど頭の中は忙しくなり、「あーもう!」と結局いつもの早風呂と変わらない。

感覚の違いというのは世の中にバラエティーを与えるし、刺激を与え、修正したり、前に進む原動力になったりする。でも当事者本人としては本当に生きにくい。生活上のいろんなところに引っ掛かり、他者との一般的な共感を与えたり得たりしにくく孤立しがちだ。

2022.8.17
NHKをつけたまま寝る準備をしていたらサンドウィッチマンの「病院ラジオ」が入った。今回の放送は愛知県の「国立長寿医療センター」で認知症の研究施設だ。参考までにチラリと見はじめたら、患者さんやご家族の生の声がもろに聞こえてきて衝撃を受けた。少し長生きすれば誰もが掛かる病気であって、今や癌と同じく自分の問題(あるいは配偶者の問題)として意識しておかなきゃならないんだよな。この問題が起きる人生終盤にどう対処するかは、その人がどう生きたか?ということに等しい。最後に登場した90歳でうつ病を乗り越えた女性は8年間に夫、息子2人、娘の計4人を失ったという。この人のリクエストが「The Rose」で、あまりにも良かったので歌詞を調べた。

「The Rose」Bette Milder
Some say love it is a river
That drowns the tender reed
Some say love it is a razor
That leaves your soul to bleed
Some say love it is a hunger
And endless aching need
I say love it is a flower
And you its only seed
It’s the heart, afraid of breaking
That never learns to dance
It’s the dream, afraid of waking
That never takes the chance
It’s the one who won’t be taken
Who cannot seem to give
And the soul, afraid of dying
That never learns to live
When the night has been too lonely
And the road has been too long
And you think that love is only
For the lucky and the strong
Just remember in the winter
Far beneath the bitter snows
Lies the seed that with the sun’s love
In the spring becomes the rose

2022.8.12
この数年~10年位かな、精神科では病気休暇の診断名として「適応障害」がものすごく増えたと思う。その前は「うつ病」「うつ状態」が多かった。もっと前は「自律神経失調症」もあったが今やほとんど使われない(診断書を書く医者自身も意味が分かっていなかった)。「神経衰弱状態」は精神病症状を伴う人に付けていた(提出された会社側は何のことやらさっぱりわからかったはず)。
「適応障害」とは要するに本人の持っている資質と置かれている環境が合わず、その摩擦によって起こる精神不調のすべてだ。責任の所在をはっきりさせないですむので、ちょっとずるいけど誰も傷つけないで済む病名ー病名というより症候群だ。会社側に責任を求めない、本人も追及されない。もし身体疾患と同じレベルで正確に病名を書くのなら「適応障害」の背景を書くべきだけど、そこはスティグマもあるわけだから書き過ぎないことが必要だ。そういう意味で「適応障害」は便利で、個人的には悪くないと思っている。
背景には知的障害(あるいは境界知能)、自閉スペクトラム症やADHD、パーソナリティー傾向の問題など適応しにくい何かがあるわけだけど、会社に行けなくなったからといって、知りたいと思っていない本人に突き付ける必要はないし、まして会社という赤の他人に診断書で公開するのは、その人の人格否定に繋がるおそれがある。

精神科では「適応障害」で受診する若い人がすごく多い。以前の自分だったら「治すのが自分の仕事」だから「何とかして会社復帰させなければ」と考えて抗うつ剤、抗不安薬やら睡眠導入剤を処方したり、背中を押す言葉を探したり、認知行動療法的な面接をしようとしたりしていた(実際にはやれていなかったけど)。でもほとんど治療効果はなく、職場が配慮して仕事量を軽減したり、配置転換してくれない限りうまくいかない。病気じゃないから当然だ。
結局病休が休職になり、復帰と休職を繰り返して何年間も苦しみ、ボロボロになって辞めていく人たちがいる。会社側からしたら給料だけ支払う時期が長くなればお荷物だ。本人の自己評価は下がり、会社に行けない自分、社会不適合者の自分というレッテルを貼られた感じがすることだろう。
しかしこの流れは根本的に間違っている気がして仕方がない。組織内に収まっていられること、周りのペースに合わせて効率的に動くことができない人は否定される。正規分布の左右の端っこ10%づつが切り捨てられているようなもんだ。

最近、会社に行けるかいけないかはそんなに問題じゃないと思うようになった。会社に適応できる人は行って生産活動をしてそこに充実感を得ればよい。会社に適応できない人は、他に自分らしさを発揮できる場を探せばいいのだと思う。例えば会社→農業とか、真逆のことをしてみたら新しい発見があるかもしれない。もしかしたら一生それが見つからないこともあるだろうけど、その場合は探し続けることがその人の人生ということになるし、その中で得られるものもなくはないはずだ。少なくとも、働かなければ生きる価値がないということはない。
だからその会社に戻ることをイメージしたとき、テンションが下がってしまうようだったら、無理して復帰しなくて良いんじゃないか?と思ってしまう。

岩木山 姥石

2022.5.20
いろいろなことから最近思うのだけど、結局その人らしく生きることが大事なんだと思う。仕事のために生きているわけではなく、人間関係のために生きているわけでもなく、それらは生きるための手段にすぎない。だれでも生まれ持った能力や特徴というものがあって、それを使って楽しく生きればいいだけのこと。でも世の中にこれだけ沈鬱な空気が蔓延しているのはどういう訳だ?発展途上国なら生きていくことさえ難しいこともあるけど、日本国民にはセーフティーネットがある。仕事しなくて生きていくこともできるし、その権利が保障されている。しかし、ただ自分らしく生きるということがなぜ難しいのだろう?

ランプの宿

2022.5.19
朝の通勤の車内でNHK第一放送を聞いているが、時々斎〇環先生が登場する。以前から引きこもりの専門家と言われていて、最近ではオープンダアローグについて紹介している。滑舌の問題なのか使っている電話の問題なのか、毎回聞き取りにくいのだが、迷いなく淀みなく淡々と話す姿勢にはクールな誠実さを感じる。神〇橋〇治先生の言った「木で鼻を括ったような態度の底に流れる誠実さ」という感じが出ていて、30年前の精神科医の一つの型と思われる。この先生の「社会的ひきこもり」を読んだ。元々1998年に書かれた本に少しだけ変更を加えた内容になっていて、内容に時代を感じて少し懐かしい。
今は不登校でも引きこもりでも、ベースに発達障害が想定されるようになった。そうなると社会から距離をとる行動が問題視されなくなる。まずは本人の自由が優先で、強制してはいけないと。引きこもり当事者もSNSなどで人に繋がれるわけで、以前ほど苦しまないですむようにもなっているだろう。でも当事者を追い込まないという点ではいいのだけど、逆に放っておかれることになってはいないか。抱え込んでいる家族もまともな相談先が見つからなければ、相当辛いだろう。
この本の肝は治療のところ。社会の〇の中に家庭の〇、その中に当事者の〇、という3重〇の図だと思う。引きこもりの固定はそれぞれの〇に接点がない状態。治療の第一は①社会と家庭、または②家庭と当事者のコミュニケーションが取れる状態にすること。その次の段階で③社会-家庭-当事者が接点を持てる状態になることだ。治療は①と②の接着剤の働きをする。ほとんど意味をなさないかにみえる家族通院でも、しっかりコミュニケーションが取れれば①が②を呼び込む力になる。こういうことを地道にしっかり支援することが本当に必要なんだと思う。
一人の引きこもりにも原因は複数あって簡単には解明できず、本人も暗中模索、悪循環に陥っているだろう。自己評価はどんどん下がり、本当のその人らしさが失われてしまう。当事者が傷つき、焦っていることは確かで、とにかく否定せず話を聞くことから始めなければならない。解決への道筋を家族が冷静に判断していくことは困難で、第三者を入れることが大事だ。一見意味のなさそうな精神療法的関りも、家族療法に関しては比較的有効なんじゃないかと思う。

八甲田 笠松峠

2022.4.3
これも清〇研先生の本から。がん患者さんとの面接をしていく中で「他人の期待に応えない」ことの大事さに気づいたという。mustの自分からwantの自分を見つけていく作業を、患者さんと共に自分自身もやっていったことが書かれている。基本OSであるwantから、成長途中で入れられたmustをアンインストールするという表現はぴったりくる。
これは自らがんサバイバーとして活動して雑誌「メッセンジャー」を発行している変集長こと杉〇貴〇さんの言っていることと同じだ。雑誌では多くのがん患者さんが、本当の自分を押し殺して自分に何かを常に強制する生き方をしてきて、がんがそれに気づかせてくれたと語っている。がんが「もう無理だ何とかしてくれ」というシグナルを送ってきていたのだと。実感としてそうなんだと思うし、実際に根っこのところから自分自身を開放できた人は、医師の見立てを裏切って良くなってしまったりする。
腫瘍精神科医が多くの患者さんに気づかされたことと、実際にがんになった人が気づくことが一致している。これはがん発症に関わる心理状態なのだろうか?ここのところはエビデンスが難しいかもしれないが、関係していてもおかしくはないと思う。一方でがんになって生きる時間の有限性に直面すると、「もっと自由に生きてくればよかった」とだれでも思うことなのだろうか。清〇研先生は自分の体験を通してミドルエイジクライシスも、徐々にではあるが人生への幻想を失っていく意味では同じことが起こっているという。とすればmustとwantの問題はだれにでもあることなのかもしれない。特に日本人の中には育児や教育と関係して広く存在するように思う。

岩山から盛岡の夜景

2022.4.2
がん研究会有明病院の清〇研先生の本に「人生は1回限りの旅である」というフレーズを見つけた。軽やかで、良し悪しの価値観を伴わない自由さを感じる。人生を大上段から構えて捉えようとすると難しくなるけど、実際はそう大したもんではないのかもしれない。
日本人の平均寿命が世界一で、しかも年々伸びているとか、「人生100年時代」という言葉をよく耳にするようになった。これまで自分も、いつまでも生き続けるかのようなイメージを持っていた。でも実際の健康寿命は日本で男性73才、女性75才だ。病気を抱えて寝たきりになったり、認知症になったりして生きる期間が実は伸びている。そう考えると自由に動ける老後は意外に短く、人生の終わりは日々近づいていると思う。
人生の最後に必ず経験する「死」を考えた時とたんに混乱してしまうのは、これまでちゃんと向き合っていなかったからだと思う。その時がきたら「あ、今がそうなんだな」と冷静に受け入れられる準備を少しづつしていきたい。人生は旅なので死は終着点だ。ウォーキングしていて終着点にたどり着いた時の心地いい疲労感、満足や安堵を感じて死ねたら一番だろうなと思う。死んだらどうなるんだろ?と最後の瞬間を楽しみながら死にたい。でも死は突然訪れるかもしれないから、そううまくいくもんでもないだろうけど。

鹿島精一銅像

2022.3.27
人の幸福感について。これまでいろいろ目にしてきたのだけど、樺〇紫〇先生の言っていることがとてもピンときた。図にすると三角形の底辺が①セロトニン的幸福感、中層が②オキシトシン的幸福感、③上層がドーパミン的幸福感。
一般にイメージしやすい幸福は③で目に見えやすい。サッカー日本代表が勝ってワールドカップ出場を決めたり、大学受験で合格したり、告白してオーケーをもらったり、仕事が成功したり、社会的地位を得たり。パチンコが大当たりするのも、宝くじが当たるのもそう。すごく嬉しくて高揚感を伴った幸福を感じるけど、その感覚はすぐに馴れてしまって1か月も続かない。でも逆に、ずっと続いたら躁病になってしまうよな。
②は愛情に満たされていること。安定した人間関係とか、家族とか、パートナーとか。犬や猫を飼っている人が、そうでない人より余命が長いというデータがあるらしい。オキシトシンに抗ストレス作用があることは何となく実感できる。人は社会的動物なので、逆に孤独な状態で幸福感を得るのは難しいと思う。
①は朝起きて空が晴れていたときに「気持ちがいい」と感じること。山や海に行って自然を感じたり、「ひろし」がキャンプで焚火をした時の感じ。運動して汗をかいた後の爽快感。体と心のバランスが取れているときの自然な感じ。瞑想して心が平穏に感じた時もそうかもしれない。現代人、特に都会で暮らす人が見失いがちなのではないかと思う。
①→②→③の順に実践できている人には、確かに自然な幸福感がありそうだ。自分の年齢になるとそう思うけど、若いころはエネルギーがあり余っていて③に飛びつきがちだったと思う。生きるということは肩ひじ張って頑張るだけではなく、その前提としてゆったりじっくり自分と周りを大事にすることなんだろう。ポイントはやはり、体に意識を向けることではないかと思う(思ってることとできているか、はまた別ですが)。
自分が縄文に引かれるのは無条件に①があり、おそらく自然な形で②もあり、そのなかで③を目指す自由もあったように想像できるからだと思う。

盛岡

2022.3.24
これも高〇和〇先生の本より。「普通の人のような感情がない」というの女性の症例。聞き進めていくと、実は母に軽度発達障害があって、悪意はなかったものの子供にとってはネグレクトと似たような生育環境だったというもの。
多分これは自分自身の抱えてきた問題と関係がありそうだ。母が発達障害だったというわけではないけど、自分とはずいぶん性格が違っていたのは確かだったと思う。社交的な母は内向的な自分のことが理解できなかったし、それは自分の中で最初から分かっていた。
最初?思い返すと小さい頃(3、4才?)から、自分はすごく特殊な存在だと思っていた(つまりエイリアン)。基本は劣等感の塊で、反面ほかにはない感性があるのかも?と思っていた(自己評価が両極端)。おそらく死ぬまで他者に理解されることはないだろうし、人生は演技で、死ぬまで演技だと思いつめていた(だって言葉で表現できないから)。でも演技を続けることは忍耐なわけで、じゃあ生きる意味はなんなんだ?ということになってしまう。若いころの自分は、太宰治「晩年」の冒頭「選ばれてあることの恍惚と不安と2つ我にあり(ヴェルレエヌ)」の感覚だった。別にカッコつけているわけではなく。でもこれまで生きた長い年月の中で、人との関係の中で何かが変容していき、少しづつ楽になってきたことは確かだといえる。「人は変われるか?」が若い頃の自分の最大の疑問だった。今はその答えが出ているけど、変わるというより本来の自分を取り戻していく、ということだ。

小さい頃から母親や周囲の大人に共感されない子どもはどう育つか。自分らしい感情が分からず、人の真似をしてみたり。妙に客観的に自分を外から眺め、計算した行動を取るようになるけど疲れるし。自分の感情が分からなくなり、離人症のようになっていくのではないか。周囲に気づかれにくいのだけど、得体のしれない生きづらさを抱える続けることになる。同じような人は、特に日本では多いのではないかと思う。

アフリカ原住民の例などから、ホモサピエンスは元々年長の子供たちが年少の子供たちを集団で見るような子育てをしてきたと言われる。そういう中では、子供は自分と似た年長者に出会うことができる。でも現代のように核家族で、親と子どもだけの環境はリスクが大きいだろうなと思う。

大船渡穴通磯

2022.3.20
高〇和〇先生の本に、男子中学生の典型的な反抗期の例が載っていた。
小学生までは家庭でも学校でも良い子で、親と一緒に行動し、出した食事をおいしそうに食べてくれる優しい子だった。それが急にイライラしやすく反抗的で、暴力的になった。ある時母が本人の好きなハンバーグを買ってきて「今日はハンバーグにするよ、これ好きだよね」と微笑み掛けると、嫌そうな顔をしてその後荒れたという。
子供時代、親に合わせて親を喜ばそうとしてきた行動が、操り人形のようにさせられてきたと感じるようになるのだろう。親は例えば習い事など、子供のために良かれと思ってやらせ、子も親を喜ばせることが嬉しくて頑張る。小学生まではそうやって親と子は一緒に歩みながら、子は親から基本的な生き方をどんどん吸収する。このころの安定した関係性は子供に生涯の基本となる。小学生に精神障害が少ないのは、保護された環境で万能感に満たされており、葛藤が少ないからだと言われる。
ところが思春期を迎えて自我が目覚めると、親の同じような言葉が子どもにとってはすべて押し付けと感じてしまう。親はその急激な変化についていけない。まだまだ未熟で危なっかしいわが子を導こうとして、ますます自分の考えを押し付けようとする。その時に立ち止まって、今一度親は自分の中学生時代を思い出すことが大事になるのかなと思う。