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心のこと

心のこと・脳のこと3⃣2024.10.5

2024.10.5
精神神経学会のシンポジウムを視聴して、近年明らかになってきたオキシトシンの作用について知識を得たのでまとめてみた。

オキシトシンは9個のアミノ酸からなる小さなペプチドホルモンで、脳下垂体後葉から分泌される。女性では分娩後の子宮収縮、赤ちゃんに吸われた時の射乳など平滑筋に作用することは知られているけど、その他の臓器にも幅広く作用する。撫でる、触れ合う、見つめ合うなどで瞬時に分泌されるが、これは人同士だけでなく人と動物同士でも分泌される。
オキシトシンは血中に分泌されるだけではなくて、脳内ではオキシトシンニューロンが辺縁系から大脳皮質まで広い範囲に張り巡らされ、その受容体がある。

ラットの実験で、中枢では不安の抑制、抹消では疼痛の抑制、抗炎症作用(肥満細胞からのヒスタミン分泌抑制)が明らかになっている。実験的に作られた「線維筋痛症マウス」では、痛覚過敏の改善、うつ状態の改善がみらた。

人での効果としては確認されているのは・・
①心の健康:不安の軽減 コミュニケーションの改善 絆の形成 依存症改善
②身体的若さの維持:神経保護作用・再生 筋肉の維持(サルコペニア改善) 骨粗しょう症改善
③メタボリック症候群への影響:食欲抑制・体重低下 β細胞保護(インスリン分泌) 脂肪肝改善 脂肪分解(脂肪細胞縮小)

と本当に多岐に渡る効果があることが分かってきている。現代人(特に自分)にとって良いことだらけのように思われる。しかしオキシトシンは経口摂取できないので点鼻薬として使われ、自閉症の症状改善(社会性の回復、自傷など反復行動の改善)の試験が始まっている段階だ。ただ短時間で分解されるので、頻繁な投与や頓服的な使用も考えられている。

ところが漢方の加味帰脾湯に、オキシトシンを増やす作用が分かってきた(含まれる14生薬のうち、タイソウ・トウキ・ショウキョウという3つに有効成分が含まれる)。加味帰脾湯はオキシトシン受容体を刺激するし、オキシトシンニューロン自体も活性化する。つまり内因性のオキシトシンを増やしてくれるのが作用機序だった可能性がある。

ということであまりにもいい話なので・・早速自分で服用して試してみることにします。

巣鴨近くの陸橋

2024.8.22・・1日目
「夢を叶えるために脳はある(池谷裕二)」という本を読んだ。
脳という不思議な臓器についていろんな角度からのアプローチ、最新の研究が紹介されているとてもいい本だ。読み流すのがもったいないので抜き書きしてみた。

人工知能(研究者は機械学習と呼ぶ)は元々脳の動作原理から設計されている。だから逆に人工知能の働き方をみることで脳の仕組みが見えてくるという面がある。池谷先生の研究室では脳とAIを行ったり来たりしながら
・脳にAIを埋め込んだら何ができる?
・AIに脳を埋め込んだら何が起こる?
・脳をネット接続したら世界はどう見える?
というような研究をしている。それは「意識とは何か」という大きな命題の答えに繋がる研究でもある。

脳は何のためにあるのか?という問いに簡単な答えはない。一般に進化は他の種よりも優位に子孫を繁栄させるためと考えられるけど・・脳がどんどん肥大化することが、必ずしも生きぬくことに有利とは言えない。
エネルギー消費という点では特異的に燃費の悪い臓器だ。ただいろんな環境(熱帯から北極圏まで)に柔軟に適応できる力を得たのはメリットだ。脳の特徴は、その自発的変化にある。記憶、思考パターン、哲学感の変化・・それらは脳そのものが自らを変化させることを意味する。
生物とは「非平衡開放系」だ。宇宙はエントロピー増大の法則(熱エネルギー第二法則)によって動いている。つまりすべての秩序は時間と共に無秩序に向かう。生命も地球のエントロピーを増大する方向に働き、脳はより効率的にそれを進めることになる(より早く地球・宇宙を破壊していく)、という考え方がある。

心脳一元論と心脳二元論・・。脳科学者の信じる一元論では、心とは脳が何らかの活動をすることによって立ち現れてくるもの、その現象と言える。車が脳とすれば、動くことでスピードという概念が生まれる・・それが心。心脳二元論は宗教的な考えとか、あの世の想定とかに通じる。

「科学とは経験の繰り返しから生じた信念にすぎない」。人は何かの事象を見た時、何らかの法則を見出そうとする(仮説を立てる)癖がある。しかしその仮説は間違っていることしか証明できない。
「白鳥はすべて白い」という仮説は黒鳥が見つかったことで否定される。一方「ツチノコは居ない」「神は存在しない」という仮説を証明することは不可能だ。科学に唯一できることは仮説を反証することである。

脳の中には約860億個の神経細胞があるという。これは銀河系に存在する星の数に近い桁数。それぞれの細胞が1ミリ秒の発火を繰り返している。神経細胞1個当たり平均1万以上のシナプスを持って他の神経細胞と繋がっている。計算するとシナプスの数は合計約1000兆個!このシナプスはナノスコープで無数の粒粒として捉えることができる。

1つの神経細胞には10万以上のナトリウムイオン・チャネルがある。4つの高分子蛋白のパーツで出来ていて、電子顕微鏡で見ることができる。1つのチャネルが1ミリ秒開く度に、1万個ものナトリウムイオンが流れ込む。これが発火という現象だ。
このチャネルが開く(発火)は、シナプスに入力される刺激の総量がある一定値を超えた時に起こる。刺激は多くのシナプスからもたらされるアナログの数値であって、一定値に至って発火することでデジタル信号に変換される。0か1かという電子計算機に似ている。

流れ込んだナトリウムイオンによって、神経細胞膜の内側が+に帯電する。その電気的不均衡が軸索の膜をすごいスピードで伝わっていく。神経細胞は常に上流の神経から受けた刺激を、下流の神経に流したり止めたりを繰り返している。物質としての脳はそういうこと。それを繰り返しているところに心(意識)が生まれるということだ。
そこには大きな解離があるんだけど、この神経活動をより微細に探っていくことができれば、心の核心に行きつくことができる・・と心身一元論者は考えている。そしてAIの研究がその答えに近づく手段として有効だ。

脳の嗅覚野、聴覚野は感覚器官の近くにある。しかし視覚野は目から一番離れた後頭葉にある(理由は分からない)。網膜は光信号を電気信号に変えるコンバーターだ。この電気信号が最初に届くのが視覚野。逆に視覚野をモニターすれば何を見ているか?が推定できる(眠っている被検者の夢の内容が分かる)。

「場所細胞」について。海馬にある神経細胞で、Aという場所に居る時にaという細胞、Bという場所に居る時にbという細胞が発火する。真っ暗にして視覚情報を遮断しても場所細胞の発火は消えない。その場所にいればどっちを向いても自分のいる場所の認識は動揺しない。場所の認識には不変性があり抽象的な空間概念だ。
これを利用すると、ネズミの海馬の発火をモニターするだけで、ネズミがどこにいてどういうスピードで移動しているのかが分かるという。
では初めて行った場所では、場所細胞はどうなるのか?というと、数分で場所細胞が形成されるという。これは新たに細胞が生まれるのではなく、既存の神経細胞の組み合わせが作られる(セルアセンブリー)。シナプス結合が変わるということだな。

更に海馬をモニターしていると、ネズミが眠った時に自分のだどったルートを想起していることが分かった。つまり自分の経験を再生している。A→B→Cと移動したこととが同じ順番で再生する。この脳内再生を人為的に阻害すると記憶として定着しないという。記憶の定着には睡眠が不可欠ということだ。

絶対音感を持っている人は1万人に1人ぐらいと言われる。ところが脳(聴覚野)には絶対的な音程に反応している細胞がちゃんとある。つまり脳そのものは絶対音感を持っている。赤ちゃんが成長する過程で絶対音感を捨てて相対音感を身に着けるのだが、これは他の音の周波数から差し引きする作業が入るのでより高度な作業と言える。
脳はなぜそう変わるのか?というと、言葉を理解しやすくするためらしい。絶対音感で判断していたら、低い声と高い声で違う言葉に聞こえてしまう。絶対音感に頼ると言葉の理解が難しくなる。
しかし相変わらず音処理の初期段階では絶対音感に反応している。その脳の反応を人工知能で読み取り、本人に教えてやることを繰り返し、コツをつかむと気づくようになるという。脳の眠った能力を覚醒させることができる。

同じようなこととして、英語のLとRの聞き分けについて。大人になってからヒアリングの練習をしても、聞き分けるのは非常に難しいのだという。しかし元々音の違いによって鼓膜の振動は異なるので、それに対応した聴覚野の神経活動も異なる。LやRの音を聞きながら脳波を記録して、正しくLやRの反応が出るように学習すると5日で聞き分けられるようになる。一旦身につくと外部装置を外しても大丈夫なのだという。

将棋では一見悪手と見える手が閃くことがある。普通はその時の脳活動の差に気づけないのだけど、それに気付きその手を打てるのが達人ということになる。
フィギュアスケートの解説者は、回転数とか着地の仕方など一瞬の動きを正確に捉えて指摘する。一般の人が同じ映像を見ていても気づかないのは、自分の脳活動の差異に気づいていないだけ。画商が良い絵かどうかを判断する目も同じことで、だれしも脳の反応に気づいていないだけなのだという。
人の能力は、一般に人に教わること(つまり脳から脳への移植という手段)によって、その分野の能力が高まるといえる。しかし人工知能を使うと、自分の脳活動の差異を直接フィードバックすることで短時間で上達することができる。これは新しい学習手段でとして画期的だ。

更に脳が使ったことのない能力を引き出すこともできるらしい。地磁気センサー(小さな電子チップ)をネズミの脳に埋め込む(どの部分にどう埋め込むんだろう?と思うけど・・)、ネズミはわずか2日で東西南北を認識するようになり、迷路を通過するのがうまくなるという。ネズミは生まれつき地磁気センサーを持っていない。でもセンサーを入れると脳はそれを利用し始めるということだ。
これは新しい感覚(第六感)を手に入れたと言えるのか?ということだが、脳は上流から来る電気信号を下流に伝えるという装置であって、最初の刺激が5感から来るかセンサーから来るかは感知しない。脳から見たら、これは新たな感覚ということができるのかもしれない。
このことから分かるのは・・見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るなどの感覚は、脳がこれらを感じるように設計されているというよりは、生まれてみたらたまたま体に5感が設置されていたということになる。

特殊な素材でつくったナノビーズをネズミの眼球に注射すると、紫外線を可視光線に変えることができる。このようなことは人にも応用可能なわけで、バイオハッキングあるいはトランスヒューマニズムといわれる(人体改造)。
蚊は二酸化炭素を感知するし、視力では人より多くの色を感知する生き物(鳥や昆虫など)が多くいる。それらのセンサーを感覚器や脳に入れ込むと、生身の人間の限界に縛られることなく、脳の力を更に引き出すことも可能というわけだ。これは脳によるドーピングみたいなものだけど、言語や文字を発明したこと自体、すでに人はドーピングの世界で生きているとも言える。

猫のゴンドラ実験・・垂直の支柱に水平棒が取り付けてある。それぞれの先端には子猫が繋がれている。一匹は自分の足で歩くようになっていて、もう一匹はカゴに乗せられている。歩く猫は前に進むので支柱の周りをまわる。もう片方はただカゴに乗って周囲を見ている。こうして育てられると、カゴの猫は物が見えるようにならないという。
網膜から入る信号と身体の経験を通じて学習しなければ「見える」ようにならないらしい。自分の足で進むと遠くに見えていた物体が大きくなる、そういう経験が必要なのである。人間の赤ちゃんも同じで生まれてすぐに網膜は機能している、身体も動く。試行錯誤しながら寝返りやハイハイという動きが可能になり、それから見る機能が発達していく。

離人症のこと。たとえば「若」という漢字を30秒ほど見ていると、これ何の字だっけ?と分からなくなってくる(そうなりやすい文字というのがいくつかある)。この現象をゲシュタルト崩壊という。これが持続して「自分は生きているのかな?」「現実味とは何?」となり、「この体は自分のものなの?」となってしまうのを離人症という。現実感が失われて生き生きとした感情が失われる。
離人症をf-MRIで調べると、島皮質(シルビウス裂の深い所)の活動低下と関係することが分かった。逆にここが活動すると生き生きとした感情が現れる。自分の体の中に確かに「自分」が灯っているという感覚だ。
島皮質は脳のさまざまな部位と繋がる脳回路のハブのような場所だ。大脳皮質だけでなく、感覚の経路である視床、感情の扁桃体などと繋がっている。「内受容感覚」に関与するとても大事な場所らしい。

こんな実験がある。部屋にボタンと電気ショック装置を用意する。ボタンを押すと皮膚に不快な電気刺激が来る。普段なら絶対に押さないが、無刺激な部屋にいさせるとしばらくしてボタンを押すようになる(人もネズミも)。脳は退屈に耐えられない。退屈すると普段は不快な刺激を積極的に求めるようになる。やがて脳の報酬系神経(中脳の腹側被蓋野VTA~腹側線条体の側坐核NAcc)が働き始めて、不快刺激を快感に感じるように変化する。何度も刺激を求めるようになりもはや中毒化する。
しかし島皮質の活動を抑えると、退屈な環境でも退屈しのぎをしなくなる。生きている実感が無くなると退屈も感じなくなるらしい。

眠りとはなにか?哺乳類はもちろん、魚も虫も眠る。ヒドラには神経細胞はあるが脳はないし、海綿になると神経細胞自体がないのに眠る。植物の静的な状態も睡眠と捉えることもできるかもしれない。こうしてみると生物にとって睡眠状態は覚醒状態に先行するものかもしれないという考え方がある。
人間もネズミも、覚醒時に得た情報を睡眠中に再生して情報を咀嚼するようなことをしている。しかし覚醒時にも過去を思い出したり反省したりというのが人の日常だ。睡眠中に見る夢は「原意識状態」と呼ばれておぼろげに意識がある状態。この状態と覚醒を繰り返す中で原意識が覚醒中に引き出されることが「意識」となっていったのかもしれない。意識は夢から生まれたという説だ。「世の中は夢か現か 現とも夢ともしらず ありてなければ」(古今和歌集 読み人しらず)。

ここまでが本全体の1/3だ。あまりにも膨大なので・・この辺で終わりにしておこう。

2024.9.21・・2日目・3日目
しばらくぶりに続きを書くことにする。分量が多くて次にいくのがちょっと大儀になってしまっていた。

脳に新しい感覚を植え込む実験。脳の反応を記録しながら縦の縞模様(灰色と黒)を見せる。すると時々脳に赤色を感じる反応が生じることがある。そのタイミングで報酬を出す(動物なら餌や水、人間ならお金)。これに慣れてくると、灰色と黒の縞模様が赤色がかってみるようになる(この場合縦縞だけ)。

次に縞模様→電気刺激を繰り返す実験。そうすると縞模様を見ただけで身構えるようになる(トラウマの脳内移植)。この場合の治療(精神療法)としては、普通は刺激に慣れさせることを行う。つまり縞模様を見せて電気ショックを与えないことを繰り返す。これは臨床精神科での暴露療法的なものだけど、下手をするとトラウマを強化しかねない。
ところが新しい方法ではこうだ。脳はランダムに活動していて、縞模様を見ていなくても同じような脳の状態が現れることがある。偶然に縞模様の脳反応が現れた時すぐに報酬を与える。これを繰り返すと、脳は無意識に縞模様の刺激を快の刺激として捉えるようになる。「縞模様→恐怖(電気刺激)」が、「縞模様→快感(報酬)」という連想に置き換わる。なんの努力もせず、トラウマの意識化を経ず、脳の反応を替えるだけで治療ができるのだから画期的だ。これはゴキブリや蛇が嫌いな人の苦手克服になるし、臨床的にはなんといってもPTSDの治療に直接役立つだろう。

しかしこの方法では人の顔の好みまで変えることができる。こうなってくると好き嫌い、感情、その人らしさも固有の物と言えなくなってくる。単に脳の回路の問題というところに収束してしまう。

効果的な学習方法について。
1 困難学習・・目で見るより手で書いたほうが覚える。記憶は入力よりも出力の方が定着する(人に教える、問題集をやる)。読みにくい文章のほうが記憶に残る。
2 地形学習・・例えば90センチメートルの位置から玉入れをする時の練習。本番と同じく90㎝から繰り返し投げる練習より、60㎝と120㎝から交互に投げる練習をした方がいい。「位置学習」は最初いい成績を出すが、最終的に「地形学習」が勝つ。
3 交互学習・・ルノワールをまとめて学習、モネをまとめて学習という「ブロック学習」が一般的だが、順番を滅茶苦茶に「交互学習」した方が成績がいい。交互学習では自分でも分かったかどうか不明なまま、消化不良のままどんどん前に進んでいく。「分かった」と思わないところが実力を伸ばす。

人にとって「分かる」とはそこに何かしらの秩序や類似性を見出すことである。ということは、世の中のすべてが理解できる対象にはならない。人の脳の枠で世界を理解するには限界がある。井の中の蛙が見ている世界ということだ。
例えば4色定理(地図は4色ですべて塗り分けられる)は、計算では証明できなかった。コンピュータを使って、可能な塗り絵の組み合わせをしらみつぶしに調べた結果証明された。これはエレガントな証明ではないエレファントな証明と言われるが、今や「理解」の概念が覆されようとしている。

人工知能の仕組み・・単純な例として信号。赤・黄:止まれ、青:進め。ここで3つのニューロンが青、緑、赤の3原色を判別する(入力される第1層)そして3つのニューロンが止まれ、進め、の2つのニューロンにそれぞれ出力(第2層)する。シナプス結合の強さは最初ランダムである。ここではたった5個のニューロンとシナプス6本の組み合わせという単純さ。
いろんな色が出た時、止まれか進めかに出力される刺激の強さによって結果が出る。最初は一か八かの結果しか出ない。しかし1回ごとにシナプス結合の強さがわずかずつ正しい方向に修正されていく。それを20回ほど繰り返すと、進め、止まれの判断にほとんど間違いが起こらなくなる。同時にシナプス結合の強さに変更が起こらなくなり学習が終わったことを示す。
人の脳も理屈は同じであり、シナプス結合の強さが修正されていくのは神経の「可塑性」ということであり、学習によって日々脳が変わっていくことである。

2層構造で信号の判別ができるが、中間層を入れて3層構造にすると、手書きの数字や文字を判別できるようになる。文字の特徴を捉える、抽象的なものを判断できるようになる。それが今や実験段階では151層だという。入力層と出力層は離れ、かなり高度なことができるようになる。ちなみに人間の脳は5~8層に相当するといわれる。
多層ニューラルネットにビッグデータをどんどん入れ込むことでディープラーニングが成り立つ。人工知能は帰納法で学習する。数学的演繹法とは逆である。

ある実験では、9層構造の人口ニューロン50万個のニューラルネットにユーチューブの画像1000万枚をランダムに見せ続けた。そうすると2万種類の物体を写真の中から認識できるようになった。ディープラーニングには教師なしで自ら気づく力がある。
その中で、ある人口ニューロン1つに注目して調べると人の顔に反応していたり、別のニューロンでは猫に反応することが分かった。このことから、おそらく人の神経細胞もそんな風になっているんだろうと推定される。
ただ人口知能にとって人や猫という存在にはなんの意味もない。人がその意味付けをする(名前を与える)のがアノテーションであり、意味を見出し有益化することができる(意味が灯る)。

AIアルファー碁について。人の常識を外れたような奇抜な打ち方(悪手)をするが、しかし最後は人に勝つ。これは人にとって碁は理屈で説明できない難しすぎるゲームだったことを示す。ほとんど直観が物をいう世界で、そしてAIは直観では人より優れているとも言える。
ポーカーは多人数不完全情報ゲームと呼ばれ、AIは人に勝てないと思われていた。なぜなら相手を油断させて騙すという心理的な面が強いから。ところがこれもAIは人より強かった。それは情報をすべて総合して、最善手を間違いなく選べるからであり、時々間違いをする人間とでは差が生じる。

心を理解するのに心は必要か?という命題がある。人は人を理解しようとして誤解することが多々ある。自分と違う相手をうまく理解できるとは限らないし、むしろ自分の心が邪魔をして相手を誤解することはよくある。
おそらく近い将来、精神科医やカウンセラーよりAIの方が信頼できるようになるだろうと思う。その時クライアントの心には、AIの言葉はどう響くのだろう。ただ、人はコンピュータに対しても十分に感情移入ができる(イライザ効果)。すでにネットでは、いろんな質問に対してAIがチャットで答えてくれるサービスがあるけど、気を使わなくていいし信頼できる。

未熟な人ほど自信過剰(ダイニング・クルーガー効果)という話。ある分野についてよく分かっていない人ほど自信満々なことがよくある(それを出しちゃうと滑稽に見られるけど)。
未熟な人は自分の力も他者の力も正しく評価できない→自分の力を現実より高く評価する→自信過剰になる→だから成長する!
自分にはできない、先輩たちのように立派にはなれない、と思っている人は頑張れない。でも能力の低さが分からない人は自信満々にやっていく。そうすると結局はできるようになる。うぬぼれは健康の裏返しでもある。
・・自分の中高生時代はまさにそうだったと思う。孤立からくる万能感が自分を支えていて、頑張ればどんなに偏差値の高い大学でも入れると思っていた。そのうぬぼれが挫折なく続いたたお蔭で、結局大学には受かった。でも大学時代は周りが見えてきて自分の能力の低さを痛感し、卒業してからは自分は先輩方のようにはなれない、と早々と感じてしまったのを覚えている。まさにその時(いろんな理屈はつけたけど)頑張ることができなくなったように思う・・この辺りが敗因だよな。

「手段的動機」と「内発的動機」について。なぜわが社を選んだのですか?と問われた時、就職希望者は「社会のために、自分の成長のために、家族のために、安定のために・・」といろんな理由を述べるがほとんどは手段動機。楽しいから、好きだから・・という内発的動機に理由はない。でも後に組織で一番活躍するのは内発的動機を持つ人だ。

ところでやる気を出す源泉は側坐核だ。f-MRIの画像をリアルタイムで見せながら、側坐核を活性化するようにトレーニングする(バイオフィードバック)と、念じることで側坐核が活性化し、実際にモチベーションが上がったという実験がある。では被検者がどうやって側坐核を活性化させたか?というと「楽しいことを想像した」という。過去の楽しかった思い出を漠然と思い出すだけでなく、具体的に思い出してタイムスリップして、浸りきるくらいの想像をする。そのトレーニングを繰り返すと気分が前向きになり、しかも長時間持続する。

後半はだいぶはしょったけど、脳についてたくさんの情報が詰まった本だった。普段は自分の頭の悪さや性格の暗さ・・マイナス面ばかり思うことが多いんだけど、それでも一般の社会生活を送れるだけの脳力が備わっているわけで、自分の脳に感謝したくなった。
生まれてこのかた、寝ても覚めてもこのデカい頭の中の暗い閉鎖空間に閉じ込められたまま、何の報酬もなく賞賛もなく仕事し続けている脳という臓器は、なんて素晴らしいんだろう。そして脳だけでなく心臓だってそのほか全身の臓器すべてが、この実態不明な自分を存在させるために、自己犠牲的に働き続けているんだよなぁ。

自分を構成しているすべての細胞・臓器に・・感謝。

my son’s photo

2024.8.11
同じく日本精神神経学会のオンデマンド配信のシンポジウムで「条件反射制御法CRCT」を勉強させてもらった。この技法は下総精神医療センターの平井愼二先生が開発したもので、その学会も立ち上げて活動中だ。
違法薬物、アルコール依存、ギャンブル、窃盗癖(クレプトマニア)、ストーカー、痴漢行為や普通の強迫性障害など・・望ましくない習慣をやめるための技法で、適応範囲がすごく広い。専門的知識は必要なく、医療だけでなく司法でも教育でも、いろんな場面で使える。

梅干を食べたことがある人は、梅干を見ただけで唾液が出る。パブロフの犬と同じ条件反射で、自分の意思で制御できない。依存は条件反射が出来上がっている状態と考え、それを消去するために負の刺激を加えるという考え方。

具体的には・・覚せい剤依存の場合、覚せい剤に見立てた塩を水に溶き、注射器に入れて注射するまでの行動をする(疑似・想像)。その時に快楽回路が作動するが、「私は 今 シャブを使えない」「大丈夫」と唱えて行動を中断する。その時に親指を中に入れ込んで握るなどの決まった動作をする(制御刺激)。これを繰り返すと、制御刺激をするだけで依存行動を抑制する力が身につく。なんだか安直で、ホントかな?という感じもしないでもないんだけど。

制御刺激は1日の生活の中で様々な場所で行うのが良く、欲求がある時にもない時にも行う。20分以上の感覚を開けて1日20回以上繰り返すと、2週間で定着してくるという。その状態を維持するためには、制御刺激を1日5回程度継続する。

心理学で「アンカリング」というのがある。ある動作とイメージを繰り返し練習することで、その動作を合図に「安全な場所」に行ったり、緊張する場面で「落ち着く」自分になれたりする。それと似ているものなのかなーと思う。

入院治療では以下の期間に分けて、この作業を濃厚に行う。
①キーワード、アクション設定・・言葉と動作によって、新しい条件反射(ブレーキ)を体に覚え込ませる。治療期間中に1000回も繰り返す。この時期、良かった思い出の書き出しを行う。
②疑似接種・疑似設定・・偽の注射器、商品を置いた部屋での動作、マネキンの女性などで問題となる行動を始め、途中で止める練習。この時期、過去のストレス状況の書き出しを行う。
③想像・・過去の、依存にどっぷり浸っていた時期の典型的な1日を思い出し、作文にし、語る。患者は依存状態に引っ張られる感じがして苦しむことがある。
④維持・・アクション、疑似体験、想像を繰り返す。行動範囲を現実社会の方に移行していく。

理論的背景として・・パブロフの言った「第一信号系条件反射」というのは大脳辺縁系に由来する、梅干→唾液の反射。これが強化された状態が依存。
「第二信号系条件反射」は前頭葉に由来する「思考」で、人間のみが持っている機能。予測、目標設定、計画、決断など行う。これにより高血圧になるから梅干は食べないでおこうと判断することができる。
しかし快感に関連付けられた第一信号系条件反射は、第二信号系より強力なため、「わかっちゃいるけど、やめられない」という状態になる(嗜癖行動)。

考え方はとても分かりやすく簡単で、その治療は個人でもできるし、他者の力を借りるとなお効果的だ。問題行動は条件反射の面があるわけだから、懲罰的な対応だけでは片手落ちだ。医療的にも良いし、司法では再犯予防に役立つ。何の手段も無く問題に向き合うよりは良いんじゃないかなぁと思う。

2024.7.27
日本精神神経学会のオンデマンド配信を少しづつ見ているのだけど、森田療法を長年やっている先生の含蓄ある1時間講演があった。聞き流すだけではもったいなく思ったので要点を書き残しておきたい。

「養生 レジリエンス」について。
養生・・有害な要素をけずる/悪循環を止める/生活を無理のない形にする/回復を引き出す(中井久夫)。
レジリエンス・・困難な人生/受動的な生き方→主体性を引き出す(加藤敏)。
この両輪が人が回復するのに必要なんだよな。

「適応不安(生きづらさ)」について。
自己の在り方vs.現在おかれている環境・・ここに不安が生まれる
→1患者には現状を何とかしたいという力が働く(これは本来生きるための健康な力)
→2しかしこうあるべき、こうあってはならない(べき思考)という患者自身・家族・社会の縛りが、予期不安と対処不能感(無力感)を生む
→3繰り返し慢性化すると、環境への受け身的適応が起こる(自分を抑え、周りに合わせ、萎縮した生き方)。
→1に戻るという悪循環。森田療法では繋驢憠(ケロケツ)と呼び、杭に繋がれたロバがぐるぐる回りをして逃れられなくなることを言う。
何とかしたい/何ともならないという綱引き状態とも言える。

「面接の留意点」としては。
・患者を多層的に理解する。
・病理(影)を見過ぎず、健康さ(光)を同時に見る。
・患者の特性に合った状況を再構築する。
・レジリエンスを引き出す。

まとめると・・
①けずる(できないことはできない 恐怖は恐怖として感じる コントロールを諦める 受け入れる ーベキ思考を緩めるー)
②引き出す(感じることを磨く 健康な心に気づく ー本来の自分らしさー)
③ふくらます(〇〇したいという生の力と行動を結びつける 直接的経験)
→たかが自分(理想の自己を削る)、されど自分(現実の自己を膨らます)という状態に至る。これが治療の出口。

こうしてみると森田療法的な考え方は、ねじれてしまった自分から本来の自分を取り戻す過程と言える。支持的精神療法の基本もそういうことなんだろうと思う。人生そのものの過程と本質的には同じかもしれない。

2024.7.7
早稲田メンタルの益田裕介先生がユーチューブで、なぜオンライン自助会を始めたのかという話をしていた。その中で自身の生い立ちに触れた時、涙を流して言葉がつまった。
幼少時に転校の経験があって、内向的な自分にとって大きなストレスだった。子供時代はすごく寂しかった・・自分と同じレベルで悩んでいる人が周囲にいなかったから。でもそれは医学部でも、精神科に進んでからも、結局ほぼいなかった。

孤独の苦しさを何とかしたいという気持ち、同じように苦しむ人の力になりたいということから精神科医になり、開業医になり、オンライン自助会に繋がった。現在は臨床をやり、自助会を開催するようになり、そうしたらここ数年、孤独を感じることがなくなったという。

益田先生は聡明で自己分析することができ、決断と行動力があり、謙虚で利己的にならない・・自分より遥かに優れた人だなぁと感じる。同時にこの動画にはとても共感し、しっくり来た。こんなに自分と似た体験をしてきた人が居たことを知り、嬉しかった。

自分は物心ついた最初から、だれかに理解してもらうことを諦めていた(一番近いはずの母親も同じく)。じゃあ物心がつく前は・・完全に自由で甘えられていたんだろうか?というと実感としてそう思えない。一般に「強くて境界線を越えてくる母×内向的で自己主張できない子」という母子関係が子にとって最悪だと思っていて・・自分と母の関係もそういうことだったんだろう、とこれまで思ってきた。

でも益田先生の動画を見て・・自分の問題は母子関係の問題よりも、持って生まれた特性が大きかったんじゃないかと思った。
自分は早熟すぎたと思う。大人の気持ちが手に取るように分かり、どうふるまえば周りの人がどう反応するのが良く分かっていた。
井戸端会議をして時間を過ごす母や近所のおばちゃんたちは、何のために生きているんだろうと思っていた。生きて老いて死ぬ、そして何も残らないのなら生きる意味がない。歴史に名を刻み、未来永劫に影響を残す人以外は意味がないと思っていた(非常に危険な思想だな・・)。そう思っていたのが小学校に入る前だ。

そのころ、自分の心はまるで宇宙のようだと思っていた。ふとしたことになぜか「懐かしさ」を感じたり、頻繁にデジャブを体験した。座敷の土壁にあった丸窓に「侘び寂び」を感じて眺めていたり(でも和のテイストを感じる自分はとても子供らしくないと思った)、季節の変わり目には人生の無常を感じた。お盆のお墓参りでは線香の臭いに先祖への尊敬を感じた。寝る前、箪笥の木目がおどろおどろしい模様になって(パレイドリア)はまり込むと自分でコントロールできなかった。ある時期は目を閉じると無重力になって落ちていく感覚に襲われた。
心に次々と湧き上がってくる感覚や感情は興味深く、でもどれも言葉に出来ないことばかりで、他者と共有できるものとは思えなかった。

そしてとても臆病だった。自分の思いや考えを表に出すことは封印していた。子供らしくない自分は気持ち悪い存在で、そんなことを感じているなんて言えなかった。だから口を開けば本当の思いと違う言葉を言った。自分を封印してその場をやり過ごすことに慣れ過ぎてしまった。分かってくれる人なんているわけがないという信念が根っこにあったからだと思う。
益田先生の子供時代も、おそらく似た感じだったんじゃないかと思った。一方的に共感しすぎているところもあるかもしれないけど・・。

あの頃の自分は世界でたった一人じゃなかったんだ・・同じような人もいるんだと思えた。そうしたら、孤独な子供時代を抱えたままの今の自分が、少し救われた気がした。
益田先生のユーチューブ自己開示に感謝だな。

2024.6.15
発達障害が増えている理由。これについていろんなことが言われていて、実数自体が増えているんじゃないか?という議論もあった。でも最近の実感としては、社会が複雑化して適応が難しくなってきているのが一番の理由なんじゃないかと思うようになった。

そもそもIQは正規分布になっていて、70未満の人が精神遅滞の診断になるけど、人口の1%に相当する。でも境界知能(85未満)となると障碍者という範疇ではないけど14%になり、7人に1人の割合だ。発達障害も同じように、グレーゾーンの人たちがそれくらいいてもおかしくない。どっちにしても生きにくさを抱えているのは同じ。

自分が小学生・中学生だった頃、クラスの班の中ではそういう子たちは何となくサポートされる立場(班内の自主勉強では常に教えられる側)になった。学校を卒業すると農業や漁業で生活していくことができた。でも今は第一次産業への就職というのが一般的でなくなった。
学校でも発達障害の認知度が上がって、早い段階から診断されるようになってきたということもある。

社会がどんどん高度化してスピードと効率が要求されるようになり、どの職種も(第一次産業もだけど)マルチタスクが要求されるようになっている。そうなるとかなりの割合の人が適応障害を起こす。そして病院受診になると、境界知能とか発達障害グレーゾーンという背景が見えてくる。

元々人間は相当のばらつきがあって、不平等ではあるけど適材適所で生きてきたんだと思う。それぞれの職場に適応して、ちゃんと効率的に仕事をしていく能力が要求される都市型の社会。
今はどこで生きていくにもかなりの能力が要求されて、ドロップアウトしやすいんじゃないか?というのが実感。不寛容な社会は幸福度の低い社会ということになると思う。

2024.3.2
「言語獲得の累積増進モデル」という仮説の話。これまで「文法中枢」は、「左下前頭回背側部」が機能していることが分かっている。

日本人の多くは小学校~大学まで、英語を「外国語」として長年勉強するにもかかわらず、ほとんど話せないという深刻な問題がある。
ところが多言語を話すのは特殊な能力と思われがちだけど、ヨーロッパ諸国やアフリカ・アジアの多民族国家などでは多言語環境が日常的で、言語習得に要する努力はそれほどストレスが感じられるものではないらしい。

この度東京大学でf-MRIを使った研究では、第3・第4言語といった新たな言語習得について第1・第2言語と共通する神経基盤が特定さた。
他言語の文章を、文法など教えず自然な音声で繰り返し聞くというメソッド。初めて接するカザフスタン語をうまく習得できた人は、左下前頭回の背側部と、両側の上側頭回・中側頭回が働いていることが分かった。

研究では多言語を同時に習得することは混乱させることではなく、むしろ相乗効果をもたらすことが分かった。言語の「自然習得」という考え方と合致している。

これからの英語など外国語教育は、文字や文法を学ぶよりも、自然に耳に入れる(例えば好きな音楽を繰り返し聞く)、発音をそっくりそのままに真似る、などのことがよりストレスなく効果的に学習する方法だということ。
「英語」は勉強じゃないんだよな。studyではなくlearn。

2024.2.16
YouTubeでよく樺沢紫苑先生のものを見ている。最近のものでは視聴者の様々な質問に対していろいろ検討を加えるのだけど、結局「睡眠・運動・朝散歩」に行き着いてしまい、ちょっと狙ってんのか?というレベル。でも確かにそうだよなと毎回納得してしまう・・水戸黄門みたいなもんだ。でもそれも大事なことで、人間はミクロに捉えようとすると複雑すぎて分からなくなってしまうところがある。
精神科医っぽくない、完全に外科医のテンションだ。でもそれが・・これまで厳格な守秘義務の上に成り立ち、そして歴史的に人権問題とぎりぎりの所で成されてきた精神医療に風穴を開けることになっていると思う。批判もあるだろうけど、このブレークスルーはやっぱりすごい。

最近出会ったのが早稲田メンタルクリニックのまだ若い益田祐介先生だ。樺沢先生とは雰囲気が全然違って、なんだろう精神科医っぽい。今どき世代の精神科医というのが分かる。2000年頃から全国でメンタルクリニックの開業が流行って、それはちょっと怪しい世界だった。それがずいぶんまともになってきてるんだなと思う(少なくとも全体としては)。

30数年前、精神科医の立ち位置はバラバラだった。精神分析などの精神療法に軸足がある人、精神薬理や脳波など生物学的な研究に向かう人にまず2分された。あるいは自己流を貫く人。それぞれの視点が全然違うので、分かり合えない感じがあった。精神医療は医者の裁量に任せられていて、自主的に勉強していないといい加減になりかねない存在でもあった。

それは精神疾患の世界がまだ魑魅魍魎としていて、共通した診断基準がなかったから。臨床医は出会う患者を診て「不登校」とか「思春期妄想症」とか「境界例」とか「30代女性の幻覚妄想精神病」とかいろんな疾患群(時に自己流の症候群を命名したり)について、その特徴やら治療について発表していくということが多かった。それはちょっと趣味みたいなふわっとしたものだった。

そういうフリーハンドの世界にDSMというアメリカ式カテゴリー分類が登場した時、日本ではずいぶん批判的に受け止められた。でもその診断基準は批判や修正を受けながら、生き物のように時代と共に変わっていく。徐々に精神科医の中に浸透していくと身体疾患同様、エビデンスに基づいた標準的治療がなされるようになってきた。そうするとどの医者にかかっても当たりはずれがなくなって、結果平均点は上がったと思う。

それで益田祐介先生だけど・・。精神医療で出来ることとできないこと、治療に要する時間・労力(費用対効果)を踏まえている。昭和的情緒的な治療論とは全然違って、遥かにスマートで効率的だ。それでいて冷淡ではなく、患者のことを俯瞰した視点から見てくれる感じがする。
この変化は時代を反映してるよな~と思う。自分としては金曜の晩に入っている「不適切にもほどがある」という宮藤官九郎のドラマとリンクする。

昔は精神疾患の原因として、DNA(持って生まれた特性)よりも成育上の出来事(親の問題)に注目しがちだった。今は全体を見て「DNA+ライフイベント+環境=精神疾患」という捉え方。

生まれ持った特性(精神遅滞・発達障害とそのグレーゾーン・気質)が最も大きなリスクになる。それに養育環境が加わり(愛着障害)、いじめなどの学校トラウマ(PTSD)があり、現在の家庭や職場環境(適応障害)が関係する。その総和があるレベルを超えた時に精神疾患が生じる。問題点のどこか少しでも癒されて回復する部分があれば、そのレベルを下回ることが出来るかもしれない。根本的な問題を解決できなくても、治療はその辺りを目指すのが現実的だ。
今の見方はそんな感じになっていて、昔の精神医療に比べてバランスが取れていると思う。