2025.5.10
落合陽一のユーチューブ Weekly OCHIAI を見ていると、いろんな分野の最先端の研究者と対談していて面白い。社会学者の石田光規さんの対談が衝撃だった。
孤独は寿命を縮めるか?という研究では、社会的繋がりを持たない人の死亡率は50%以上高く、煙草やアルコールのリスクより遥かに高い。そして孤立死は男性が8割と男女差が際立っている。
2000年代から日本の社会(世界でも)が個人化という方向にどんどん進み、あえて付き合おうとしないと人間関係を作れないようになった。その結果、孤独、孤立化という問題が起こってきた。
孤立死(死後長期間気づかれずに経過する孤独死)をした人の割合を年代別で見ると、50代男性では全死亡のうち10%だった。孤立死は高齢者だけの問題ではなく、むしろその割合は老人より多い。中年男性は仕事していない人のセーフティーネットがない、助けを求めにくいという意味でリスクだ。
25歳~54歳の男性現役世代の調査で、過去半年に何人の人と食事や外出をしたか?という問いで「0人」と答えた人が33%もいたという。
50歳時未婚率は、2020年調査で男性で28%、女性18%だった。今の時代は「一人で楽しむ」、と「誰かと楽しむ」の選択ができるので、そうなると誰かと楽しむのはめんどくさいということになってくる。一人で楽しむことを続けるうちに、人の中に入る体力・筋力が衰えてしまう。
マッチングアプリでパートナーを探すことが増えているけど、ある意味トーナメント戦であって、自分は何万人もの中の選択枝となる。選ばれないことが続くと、自分に価値がないと思ってしまうこともあるらしい。
あるいはSNSを介した仲間関係は偏っていて、エコーチェンバーからカルト化して妙な方向に進む恐れがある。
「親友」という言葉の使われ方がずいぶん変化しているという。過去の新聞を調べると80~90年代では投書欄などで「親友とカラオケ行った」などと普通に使われていた。2000年代になると新聞では、高校野球の友情物語がこと更に紹介される。若者がワンピースのように率直に言い合える関係に憧れを抱いたりと、「親友」は物語上のものになっている。
現実ではそんなドラマチックな関係は存在しないのが普通だ。でも親友とか友情がない自分というものが、逆に意識されすぎていいる時代なのかもしれない。
村社会あるいは血縁関係の社会では人が集まる「場」があって、そこに行けばあるいは居るだけで人と触れ合えた。だから発達障害のような特徴のある人もその中の一員として存在できた。今はネットを通じた個々人の繋がりが中心になり、約束しないと人と会えない。その手間が入ることで、コミュニケーションが得意でない人を孤立化させる社会なんだろうと思う。
