2022.11.3記
重茂半島自転車一人旅・・それは中学3年の夏休みの、最終日だったような気がする。
小学校のころ、夏休みで一番楽しかったのは海に行くことだった。海に潜った時、一瞬にして別世界となる水中の景色、地上の音が遠のき、体が波に持っていかれる感覚、その時の不思議な高なりはいつも新鮮だった。子供の頃から海が好きだったし、おそらく自分は自然に触れあっているのが本当に好きだったんだと思う。
夏休みの予定のない日もずっとクワガタムシと遊んでいたり、いろんな物に想像力を吹き込んでは、目の前のことに没頭して時間を過ごすことができた。退屈に過ごした日はちょっと嫌な気分になるけど、それでも晩に家族そろってテレビを見れば楽しくなるし、寝て起きれば気分はリセットされていた。
ところが中学に入る頃から、そういうことが何故かできなくなった。自分の中では全く想定外の、急激な内的な変化だった。世の中のすべてが空しく灰色に感じられた。同級生との会話ー彼らが興味を持ち始めたアイドルとか外国の音楽、不良のまね事ーそういうことに興味が持てなかった。会話は相手に合わせるだけのものとなり苦痛で、学校は地獄だった。テレビのバラエティー番組も笑えなくなった。
だから家に帰ると自分の部屋に籠って(親は勉強していると思っていただろうけど)、自分の世界に入った。毎晩遅くまでノートに絵を描いたり詩を書いたりしては、自己嫌悪に陥ってその日のうちに破り捨てた。そんな時間がいつのまにか自分にとって大事なものとなり、「夜の自分だけの世界」と「昼間の現実世界」が2つ存在するようになった。昼の時間は心を空にして、夜の時間に戻れることを思ってやり過ごした。
当然、中学3年の夏休みは孤独だった。時間をどう過ごせばいいか分からず、ただただ閉じこもって過ごすしかなかった。「自分はたった一人だ」という思いが日に日に高まっていった。そういう自分は惨めで情けなく、同級生と顔を合わせるのが怖くて、ほとんど外に出かけることもしなかった。
その息苦しさからどうしても抜け出さなければならなくて、県庁所在地の進学校に行こうと思った。でも勉強には全く身が入らない・・それどころではないのだ。おそらく翌年3月の受験までまともに勉強しないだろうと思った。親や教師の予想を裏切って成績は全然伸びないだろう、それでも受験して受からなければならない。自分には無理だ!もう奇跡に頼るしかなかった。
ずーっと前、物心ついた頃から自分は周りと、何か違うと思ってきた。それでも時々気の合う子ができて、遊んでいるうちに笑いが湧き出て止まらなくなったり、替え歌を歌ってはしゃいで過ごした時期もあった。それが中学生になる頃、気が付くと完全に硬い鎧の中に入ってしまい、顔は仮面をかぶったようだった。気が付くとしばらく笑ったことがなくて、表情筋の使い方が分からなくなっていた。
どうしてこんな風になってしまったんだろう?自分のことがもはや分からなかった。
自分はやはり普通ではないと確信した(もはや人間じゃない)。顔も体も何もかもおかしくなってきた(顔は奇妙だし、ニキビは出るし、頭は油ぎってるし、腕の毛がどんどん生えてくる・・この先どうなってしまうのか?!)。話を向けられても機転の利いた言葉も出てこず、頭が悪い。
でも何故か運だけは良いと思っていた。というのはどんなピンチでも(例えばほとんど準備しなかった試験とか)思ったより良い結果が出るのだった。だから神のような何か(サムシング グレート)が自分を見ているのではないかという気がしていた。偉大な何者かが、こんなとんでもない状態の自分を静かに見守っている。だからこのままのはずはない、自分は選ばれた存在で、何か凄いことを成し遂げる時が来るんじゃないか?とどこかで思っていた。
ー今思うと幼児的万能感から抜け出せていないだけだった。現実世界を避けて内に籠もり、経験の乏しさから自己評価が両極端に振れていたんだと思うー
長い長い夏休みだった。勉強している体(てい)で部屋に籠り続けた挙句、なぜ思いついたか忘れたが「明日自転車で重茂半島を回ってくる」と親に伝えた。そうすると思いがけず、父からは気を付けて行ってこいという言葉があり、母はおにぎりを用意してくれた。それは素直に有難かったなぁ。
両親も自分の辛さを何となく感じていたのかもしれないと思う。
2022.11.9記
翌朝は珍しく新鮮な気持ちで目覚め、自転車にまたがり全力で走り出した。自転車で学区外に出ることは学校で禁止されていたから、それを超えていく自分は自由で、羽が生えたような気がした。海沿いを進んで行くと、次々に小さな漁港を通り過ぎる。湾内で牡蠣なんかの養殖をしている漁師さんの家々が狭い平地に密集している。それぞれの家にどんな家庭があり、どんな生活をしているんだろう?
30分ほどであっさり白浜に着いた。そこはもう、イメージの中ではずっと遠いと思っていた学区外の世界。見知らぬ人たちの生活がそこにはあった。「人の生活」というものを初めて見るかのように新鮮に感じた。
休みもせず、そこから峠越えに向かう。息を切らして自転車を押していく。少しでも早く向こう側の景色が見たかった。そしてついに峠を越えると、そこには青々とした太平洋が想像を超える大きさで広がっていた。丘陵上の重茂集落を超えて進み、更に山を越え、姉吉漁港に下った。
無人の漁港に自転車を置き、父が教えてくれた山道を歩いて魹ケ埼灯台に向かった。その道沿いは人の気配が感じられない海と山だけの世界だった。だけどたった一人でもぜんぜん寂しくはなく、心細く感じないのは意外だった。そこには本当の地球の姿と、そこに生まれた生き物としての自分があると感じた。
そこは本当に素晴らしい場所で、海沿いに小屋でも建て、毎日海の幸を獲り、疲れた体を休め、朝晩海を眺めて暮らしたらどんなに素晴らしいだろうと、本気で思った。
魹ケ埼灯台までほとんど小走りで進んだが、1時間以上はかかったと思う。お昼頃、汗だくになって辿り着くと灯台守の男の人が2人いた。中学3年だと聞いて、一人でそんなに遠くから来たのかと驚き、そして褒めてくれた。出されたカルピスは今まで飲んだことのないぬるくて濃すぎるものだったけど、忘れられない味だった。その人たちが無条件に自分を認めてくれたことが嬉しかった。
本州最東端の灯台を出て、誇らしい気持ちで海に向かい堂々と座った。そこで食べた母のおにぎりが最高においしかったなぁ。
姉吉漁港から急坂を登り返し、峠を越えて下ると父に聞いていた千鶏(チケイ)に出た。こんなに遠く離れたな場所に小さな湾を囲んで集落があり、肩を寄せ合うように人の生活が営まれていることが不思議だった。そこから先も何度も登ったり下ったり、道は永遠に続くかと思われた。でも長くて辛いほどにテンションは高く、ずっと独り言を言っていた気がする。ペダルを漕ぐ度、自分の世界を一歩づつ広げていっているという実感があった。
夕方が近づいてきた。明るいうちに帰り着けるだろうか?と不安になって必死に自転車を漕いでいた。そして自分の記憶では、小さな岬を回り込んで下り坂に入った瞬間・・思わず息を飲んだ。
突然目の前に、黄金色の世界が広がった。凪いだ海に夕日が差して、水面がキラキラ輝いていた。一瞬そこがどこなのか分からず、別世界に迷い込んだかと思った。
少しの間を置いて、そこが目的地の山田湾だと気づいた。静かな水面を囲んで町と堤防が弧を描き、工場から煙が上がり、ミニチュアみたいな車がゆっくりと動いていた。音はなく、まるで黄ばんだ古い写真のようだった。
その町はどこか懐かしい感じがした。母や家族や、近所のお兄ちゃんやおばちゃんたちに無心で甘えられていられた子供時代がそこにあるようで・・でもその時の自分にとっては、遥か遠くの世界だった。
そして思った。この景色を一生忘れることはないだろう。きっと自分だけの宝物になる。この景色に2度と出会うことはないけど、でも出会いとは本来そういうものなんだと。
夕闇が迫っていた。ふと冷たい風が吹いた。まだ夏の真っ盛りだと思っていたのに、季節はもう冬に向かって動いていることに気づいた。
そして朝に家を出たのが、信じられないほど遠い昔のように感じた。それまでの長くて無為な夏休みと、同じくらいに長く感じられた。それがとても不思議だった。
時間って何?この地球の無限の美しさは何?その地球から生まれた自分は何者で、生きることにはなんの意味がある?そういう疑問が湧いてきた。いろんなことを知りたい、体験したいという、未来への想いが沸き上がってきた。
そしていつかあの美しい世界に入る時が来て、自分らしく生きていく日が来るに違いないと、根拠もなく思った。
中学の卒業文集に、その時の体験を詩にして残した。
詩は今でも覚えていて大体こんな感じだった。
「 日が沈むころ 海を囲む堤防と町を見た
音はなく それはただ古い写真のようにぼんやりとしていた
長い長い だれも知らない不思議な道を歩いて
僕は異次元のこの町に出会った
そこには動くものがなかった
でもほんの数時間前までは普通の港町だった そんな気がする
夏というものは不思議だ夏になるまでが夏で
夏になった瞬間にどことなく冬らしくなる
その風景もまた冬に知るものを
底の方に静かに感じさせていた 」
その体験が「自分は何とかなる」という思いを与えてくれ、中3後半の半年間を支えてくれた。