久慈~小袖海岸へ 船渡海水浴場
不思議の国の北リアス
雑感

雑感1⃣2022.

2022.12.17
昨日の朝、危うく事故るところだった!という話。
朝の通勤、夏場(雪のない時期)は7:10に出ると、混んでいても8:00前後に着く。冬場になると少し早く7:00に出ても渋滞があり、道路状況によって下手すると到着が8:20になる。神経使うし、ガソリン使うしで環境にも良くない。ばかばかしいので今年は6:40に出るようにした。そうすると混まないので夏と同様50分で着く(7:30)。到着後の余裕の時間は調べものをしたたり、新聞を読んで過ごすことができる。

そんなことで、昨日の朝も快適に進んで職場に到着する直前・・土手に上がる坂を登り始めた時だった。坂がテカテカに凍って朝日を反射しているのが見えた。ヤバい・・ここは風の通り道になっている!無事に登りきることを念じつつジワジワ進んでいくと、ちょうど土手上の右側から車が来て、坂を下りかけて止まった。マズイ!私からすると道がふさがれた格好になりやむなくブレーキを掛ける。そして車が止まった瞬間、ツーっと滑り始めた!

坂の上の車の人と目が合った。オーノー!ヘルプミー!!という表情を浮かべながら(と思う)私は後退していった。車は勝手に勢いを増し、鼻先が勝手にグルンッと右に回った。そして車の後ろが坂道の柵にぶつかったと思った瞬間・・今度は鼻先を下にして滑り始めた。
奇跡的に柵にぶつかることも無く、まるでプロのドライバーが切り返したかのような素早い回転をしたのち、そのまま流れるように滑り落ちていた(この間私は何もしていない)。心の中はパニックだったが、どうしようもないので何事もなかったかのようにそのまま坂道を下り、ウインカーを出して下の道に合流したのであった。「これは仏さま(亡き母と亡き義母)が守ってくれている!」そう思った。

ちなみに車の後ろがぶつかると思った瞬間・・実は去年雪の塊にハッチバックドアを押し付けて少しへこんでいる。これを直せないかとディーラーに問い合わせたところ、ドア交換になるので27万円と言われた。ばかばかしいので直さなかったが、直してなくてよかった~という超現実的・打算的な思いも同時に交錯していたのであった。
人間というのは危機的な瞬間にもいろんなことを考えるものである。というよりむしろ、頭が活性化して、同時にいろんなことを考えられるんだろうなー。

2022.9.30
先週の9.24は娘の結婚式・披露宴であった。全部本人たちが準備したので、親の我々はただ当日参加したという感じになった。何となく現実感もなく会場に着いてしまい、いざ式が始まってから、やっと実感が湧いてきた有様だった。とりあえず緊張して、式ではまず自分自身が粗相のないように気を付けていた。
その中で、神父様による聖書引用の説教はとても良かった。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。(コリント人への手紙I 13:4〜8)」
神父様は相手をののしるな、否定するな、もし喧嘩をしてもその日のうちに和解するようにと教えてくれた。
そして愛の誓約に、2人がそれぞれ「はい!」と大きく返事をしたのが、なかなか良かったなぁ。

写真撮影から披露宴会場に移り席に着いたとき、緊張が解けた瞬間ふっと実感が込み上げてきた。本当にこの場に、カップルの親としていられることが幸せだと思った。娘が結婚するということでは、職場ではよく「寂しいでしょう?」と声を掛けられるけど、自分の実感としては「ほっとした」ということだし、生まれて初めてかもしれない安堵感に包まれた。

いろんな細かなこと、先のことを考えてあくせくせず、ただその披露宴会場でゆったりしていれば良いんだと思った。そのゆったりした気持ちを味わっていたくて、写真撮影はすべて息子に任せた。娘も婿さんも、本当に幸せそうな顔をしていたことが嬉しかった。そして祝福に集まってくれた人たちの、2人への応援に何の偽りもないことが実感された。

今まで長く子育てをしてきて思うのは、自分たちがいつも心配していたということだ。でもこれから先は婿さんに心配してもらえばいいんだ、という安堵感と感謝。自分たちの役割はこれで終わり、むしろ心配し続けることはかえって迷惑なことだ。これできっぱりと自分たちの手を離れたと思った。鳥や動物がある日突然、我が子と別れるみたいに。

自分という相当病的だった人間が、曲がりなりにもこんな日を迎えることができるとは・・という思いもある。

2022.9.5
「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」という本を読ませていただいた。自分の趣味とはちょっと違う本なのだけど、せっかく貸してもらったので読んでみた。一人息子の発言、そのスマートさ、かわいいんだろうな~という感じはちょっと鼻につくんだけど・・でも現代のイギリスの、本当の生活を垣間見ることができて、とてもためになった。
イギリスは多民族国家で、人種や出身国の違い、白人の中にも労働者階級、ミドルクラスとアッパークラス・・それらの差別というか区別がはっきりしている。子供の入る学校からしてクラス分けがされていて(もちろん表向きは平等なわけだけど)、富裕層の子供はアッパークラスの私立学校へ、貧困層の子供たちはもうなかなか逆転の難しい厳しい世界だ。インドのカースト制度に近いものがある。シングルマザー、子供の貧困、路上生活者、未成年のドラッグ問題、傷害事件など、多くは日本と共通しているけどより激しく深刻に思われる。一つ一つの社会問題を解決しようとしたらすごく疲れてしまいそう。
一般に多様性とかLGBTQへの理解とか、ヨーロッパは日本より進んでいるんでないか?と思っていたけど、そんなことはない。あからさまな差別が日常的にあり、それは違うと声を上げる人たちがマスコミに取り上げられやすいだけだ。
一方で「教育」は、多様性や人権や差別問題を隠そうせず、正面から取り上げるのが日本と違う。社会問題をちゃんと正していくんだという気概というか、正義があると感じる。里親制度が日本より遥かに充実していて、大人が責任をもって子供を育てるという意識が日本より強いと思う。

ーいろんな横文字が出てきて勉強になったので、ちょっと羅列してみるー
・レイシズム:人種主義。白人の有色人種への差別はすごく根強い。
・ホワイトトラッシュ(白い屑)、チャヴ:白人労働者階級の子供たちが通う学校の差別用語。チャヴはもともと「粗野な振る舞いに象徴される下層階級の若者」を指していた。
・ティーン・ギャング・カルチャー:下層ティーンエイイジャーがドラッグの運び屋に使われたり、性的搾取されたりしている世相。
・チンク、チンキー:中国人の蔑称。日本人も含め、東洋人全体を指す場合もある。黄色人が街を歩いているだけで、その言葉を投げつけてくる人がいる。でもそういう白人の多くは下層階級であり、おそらく経済的に負けていることのやっかみが入っている。
・差別にはさまざまなレイヤーが生まれている:人種による差別と経済的格差という2つが交じり合っている。その他にも差別はいくらでも生まれる素地がある。
・多様性格差:人種多様性のある学校は優秀でリッチ、オックス・ブリッジの合格率が高い。一方でイギリス白人だけの学校は労働者階級、という一見奇妙な格差。でも海外からイギリスに渡ってくる人たちは一般に優秀で意欲的な遺伝子が多いのだろう。イギリス白人のハイクラスは多様性の学校を選ぶ。
・ポリティカル・コレクトネス:偏見や差別を含まない中立的な表現。イギリスの学校では相当教育される。
・アイデンティティー・ポリティクス:個人のアイデンティティーを重視する政治。これは徹底した民主主義国家でないと成り立たない。日本はまだまだ甘いなと思う。
・シティズンシップ・エデュケーション:イギリスの義務教育のカリキュラムにある。社会において積極的な役割を果たす知識とスキルを提供するもの。民主主義、政府、法の理解を育むもの。その授業ではエンパシーとは何か?というテーマが取り上げられていた。
・「It takes a village」:子育てには一つの村が必要だ=子供は村全体で育てるものだ、というイギリス古来の考え方。ひと昔前の日本もそうだった。子育ては世界共通なんだなと思う。
・「多様性は面倒だけど多様性がないと無知になる」:これは多様性社会に住んで初めてわかることなんだろう。

それにしても日本に比べて、多様性の社会は大変だろうな。「人間は平等だ」なんてのんきなことは言っていられない。そういう社会では、未来がどこに向かっていくのか見えにくいし、政治も白熱するわけだ。ぶつかり合いの中で色んな新しいものが生み出されるという、プラス面もあるだろう。
欧米的な多様性の世界と大多数漢民族の中国とは、対照的な感じがする。対比すると単一性はやはり怖いと思う。意見がぶつかり合わない世界というのは戦前の日本のごとく一部の考えが暴走することになり、やがて人類を破滅に向かわせるのではないか?と思う。

2022.8.28
昨日は櫻庭〇〇先生の個展を見に行った。今回は、青森県西海岸の風景を水彩で描いた沢山の作品。自然が現わしてくれる形、色、動き。神が作り上げたのでは?と思わせる完ぺきな美しさが切り取られ、一点の曇りもなく描かれていた。ずっと見ていても多分飽きないだろうな。
櫻庭先生は精力的に客に話しかけ、私たちにも長い時間話を聞かせてくださった。ほとんど一人語りなんだけど、とても心地よい時間だった。
小学校時代に左利きで吃音の自分のことを、器用だとか絵が上手だとか褒めてくれた先生の言葉が、乾いた土に染み入るように入っていった。その先生への感謝が人生の土台の一部となり、絵を描くことに繋がった。子供を叱るときは個人的に叱る、褒めるときも一人の時を見計らってそっと褒める、という教師のコツ。多くの先生は自分が優等生だったから劣等生の気持ちが分からず、こうしなさいと教える。でも「自分はもっとダメだった、算数なんか1だったや」という話をする。生徒は「じゃあどうやって先生になったの」と興味を持つ。勉強はやらせるものではなく、やりたくなった時にやるのが大事・・。

櫻庭先生は、ある意味超人だ。自分はこうだ~というものが揺らぎなく、相手がどんな人なのかは見ていない。だから誰に対しても分け隔てなく接する。言葉は言葉通りで、まっすぐで爽やかだ。話を聞いているだけで楽しくなって、人って良いもんだなと肯定したくなる。
人間は脳が発達しすぎたことで考えすぎるし、複雑化した社会の中で病みやすくできている。下手すると微妙なバランスをとることにだけエネルギーを費やすことが、人生のほとんどになってしまう。でもそれはやっぱり違うよな、と櫻庭先生は気づかせてくれる。

2022.8.21
今日または明日で10日間の自宅療養が終わりだ(発症日を12とするか13とするかで違ってくるが、どっちが発症日ととらえるべきか微妙すぎて自分でもよくわからない)。
時間があるので「カラアゲ隊長」のブログをちょくちょく見ていた。その最近の記事に「寝たろうブログ」と、寝たろうさんが新しく出した「存在消滅」という本の紹介があった。それをチラリ見に行くと、寝たろうさんとは、以前「スモールハウス」を読んで気になっていた高村友也さんその人であった。東京と山を行ったり来たりしながら、今は山の小屋で暮らしている。その人もカラアゲ隊長同様、日々の生活と考えたことを地道にブログに上げ続けていた。

高村さんは東大哲学科を出たが就職せず思索の生活に入った、どちらかというとじっとして内面を見つめ文章化するのが得意だ。カラアゲ隊長は無名大学中退、船の機関工をやっていたがその後いくつかの職を転々としてうまくいかず、記事からはADHDとASDの両方ありそうな強烈な個性を持ち常に動き回っている。しかし2人はとても似ていると思った。人生の途中経過はすごく違うんだけど、根っこの部分と今現在の生活(結果)がとても似ている。人間には一定の割合でこういう人がいるんだなーと思い、嬉しくなった。
社会の歯車であることの強烈な違和感、そこから外れて(Bライフ)自分に向き合う環境に身を置いていること、でもそこにまだ答えはなくてブログや本という形で世の中に問い続けていること。それは人生をかけて「人間とは何か?」を探す旅だ。高村さんは「小屋に住んだからといって精神的に豊かになるというわけではなく」「自分にはこれしかできなかった」という状態だと書く。この旅がどこに行きつくのか、もちろん自分もわからないだろう。でも損得勘定なく、自分にうそをつかずまっすぐに生きているだけで光っていて、価値があると思える。

2022.8.18
各方面に多大なご迷惑をお掛けしました。この場を借りて謝罪申し上げます。
新型コロナの顛末。

13日に親戚関係を回って仏様にお線香を上げて帰った。その夕方にだるくなってソファーで寝てしまい、不快な寝汗と共に目覚めたら鼻の奥がヒリヒリと痛んだ。いつもと違う不調を感じ「15日に出勤したらすぐPCR検査をお願いしよう」と考えたが、思い直して抗原検査キットを買える場所を検索、夜間購入できる薬局を見つけて2セット購入、さっそくやってみた。まさかと思った・・私陽性、タマ陽性。羽の生えた妖精ならかわいいんだけど・・?
タマの不調は軽いものの、2日ほど前から夜間のエアコンで喉をやられたと言っていた(熱はなく悪化傾向もなかった)。私自身も鼻の奥のヒリヒリ感がちょっとだけあったが日常でも時々あることだった。
13日は墓参りと人に会う高揚感もあったのか特に不調を感じず、検査や訪問中止の考えに及ばなかった。2人のうちどちらが先に感染したのか、どこで感染したのか不明だ。少なくともマスクを外して人と会話したことはなかった。

保健所の夜間担当者に電話すると「臨時Webキッド検査センター」に登録するように言われた。検査キットが研究用か?診断用か?と問われて説明書見るも良くわからない。よくよく見ると文章中に「診断のための」という一文ありそれと分かった。身分証明書として免許証や陽性が出たキットの写真をアップする必要があり、一旦ゴミ箱に捨てたものを出してきて・・なんとか登録。ところがその後MyHER-sysという健康状態入力フォームが1日1回送られてくるのみで、電話が行きますと言っていた保健所からの電話はない。個別の療養期間の指示も来ない・・示されている基準では症状が出た日を0日とカウントして10日間(かつ症状消失から72時間以上)となっているから、自分で判断せよということだ。ある程度パソコンが使いこなせないと難しいけど、保健所がすべてこなすのはもはや無理なんだろう。これからは、ネットを使いこなせないと生きていけないよな~と実感。

とにかく急いで、訪問した家に手分けして電話、職場に連絡、保健所の夜間連絡先に電話、がっくりとメンタルダウンして寝た。
そして14日早朝から具合の悪さに襲われた。体温こそ37.5度以下で推移したが、倦怠感・不動性めまい・頭痛(ピリッとくる痛み)・咽頭痛・寒気と寝汗・手足の冷え・背中から脇腹のヒリヒリした感じなど、全身症状がすごくて髪を触るだけで痛い。風邪なんだけど経験したことのないタチの悪さだ(さすが新型と思った)。苦しくて寝ていられず、昼夜問わず30分寝ては目覚めてを繰り返した。
この状態は16日にかけて3日間続き、たった3日間だけど相当長く感じた。16日、咽頭痛がいよいよ酷くなり痰が増え、水を飲みこむのも辛い。一方倦怠感が軽くなってきた感じがした(体の奥の方で大丈夫だよーと言っているように感じた)。おそらくウイルス量は減少に転じ、逆に咽頭は細菌二次感染を起こしていると思われたので抗生剤を服用し始めた。そうしたところ17日朝、初めて峠を越したことが実感された。タマは私ほど症状が強く出ず、それでも不調が同じ期間続いた。
今日18日になると、だいぶ楽になった。回復方向に向かうと、安心感から気持ちも元気になる。しかし喉の荒れた感じが残り、頭がモヤっとしている。通常の風邪のように治った時の爽快感がない。オミクロンではあまり言われていないけど、以前の株ではいろんな後遺症が出て話題になったが、それも納得できるなぁ。
やはり新型コロナ侮るべからず。

とにかく親戚関係と職場には多大なご負担をお掛けしてしまい、申し訳なく思っています。

2022.7.8
阿倍元首相が参院選の街頭演説に立っていて射殺された。あまりのことに、現実感が伴わない。いろんなことが無意味に思えて、呆然とする。ウクライナではこれと同じことが何千何万も行われているだろう。
元首相だからとか何をした人だからというのではなく、一人の人間が問答無用で一方的に命を奪われたということが、あまりに理不尽だ。日本の混沌としたこの時代、更に暗雲立ち込める感じがしてしまう。これから先、悪いことが続かなければいいが・・。
ケネディー大統領の暗殺事件と似た事件だ。当時アメリカの衝撃はすごかっただろうし、60年近く経っても未だ人の心にトラウマを残しているように思う。
プー〇ンは安倍元首相に哀悼の意を表し、政治家として日ロ関係に果たした役割を讃えているが「ふざけるな」と言いたい。心がこもっていないことはもちろんだし、その何万倍もの罪を犯しているのはお前じゃ!

2022.7.4
急に真夏の暑さがやってきて外にでるのが億劫に感じる今日この頃、どうでもいい話。
先月の話だけど・・母の四十九日法要の後、姉宅で簡単な会食をした。お弁当はちょっと豪華な折り詰めで、お料理2つ、ごはん1つの3つに分かれていた。「食べきれない量だから、残りは持ち帰って晩にでも食べよう」などと言いながら食べ始めたのだが、食べ進むうちに私は食べきれそうな気分になり「あ、俺全部たべれそう」と言うと、タマが「無理すればマネよ」などと言ってきた。ところが、その後少し食べ進めると急に満腹感を感じてきた。残った料理を裏箸で移しかえながら「さすがに無理だわ」とつぶやくと、隣に座っていた娘がなぜか吹き出した。
「えっ、何?」と聞いてみると・・「さっきは自信たっぷりに俺食べれるとか言ってたのに、結局無理なんじゃん、お父さんいっつもこうなんだよな~」と、そのあとも笑い止まらずヒーヒー言っていた。どうってことないんだけど、ツボにはまったらしい。タマは「一貫性がない。言うことがコロコロ変わる」とか「不信感だ」と攻めてくるけど、結局ワシのこのパターンは要するに独り言なんだよな。「あ、俺の腹が食べたいと言ってる、待てよ・・思いがけず腹いっぱいになってしまった、やっぱりやめとこう、無理したら体にも良くないしな」というただの独り言なんだよな。

2022.6.1
徐々に腰痛が悪化してきた。このところ両親のアパートの引っ越し、大型ごみの産廃業者への処分などをしてるうちに、安静にしても回復しなくなってきた。ズーンという違和感と左臀部の坐骨神経の痺れが嫌な感じだ。ふと「もう潮風トレイルに行けないかもしれない」と、そう思ったら急に心配になってきた。
生きる喜びを分解すると、食べること、話すこと、見ること、聞くこと、感じること、そして自分の足で歩くことなど、生物としての機能を使うことが重要な要素なんだと思う。だから寝たきりで胃チューブを留置されているお年寄りは幸福感の多くを奪われているし、寝返りも排泄もコントロールできず、目も耳も働かなくなってしまったら・・と思うとどんなにか辛いだろう、生きているだけで尊敬に値する。

父は脊柱管狭窄症で腰椎と頚椎を手術しているので、骨格が似ている自分も脊柱管狭窄症だと思い込んでいた。長年整形外科に受診しなかったのは、行くときはもう手術だと思っていたから。昨日思い切って受診したときは「さあ手術どうぞ、私はまな板の上の鯉です」という勝手に開き直った気分であった。

ところが頭から骨盤までの長いレントゲン写真を撮られたのち、「いわゆるストレートバックですね」と軽~い感じで先生に言われた時は拍子抜けした。側面像を見せてもらうと、まるで定規で引いたような一直線の背骨が写っていた。そして仙骨が尻尾みたいにピッと立って「腰仙角」が直角になっている。自分が想像していた背骨と全くイメージが違っていた。やっぱり医学は役に立つ!このストレートバックというのは、レントゲンでは一見姿勢が良く見えて、実は前かがみの悪い姿勢から来る生活習慣病だ。
これまで腰痛に対して、自分は背中を丸めるようにしていた。自宅では布張りのキャンプ用椅子に、深く腰を沈めていた。仕事中は腹を突き出す姿勢が腰に悪そうだからと、前かがみの姿勢を心掛けていた。ところがこれらの行動はすべて逆効果、ストレートバックを助長していたのであった。思い込み恐るべし!これからは医学の所見に基づいて、軟らかいものに腰を預けたりせずに姿勢を正し、体幹トレーニングをして半年後の背骨がS字を描くことになるのかどうか、自分の体で実験していきたい。

2022.5.25
毎晩夢を見る。以前は怖い夢、追いかけられる夢が多かった。あまりにも激しく怖く、目覚めて夢でよかったと思った。最近の夢は淡々としていて、過去や現在の人が登場していろんなやり取りをするのだが、決まって淋しい気持ちで目覚める。特に事件や悲劇が起きるわけでもないけど、何気ないやり取りがもう過去のものなんだと、もうその時のその人は居ないんだ思って目覚める。

これは昔行った場所にも同じものを感じる。以前は昔行った場所を訪れるのがわりと好きだった。懐かしさと寂しさを感じる時間が好きで、「そういえば」と思いつくとちょっと立ち寄ってその頃のことを思い出していた。でも記憶にはその時の辛さが付きまとう。逆に楽しい思い出でもそこにはもう戻れない寂しさが伴う。今はその辛さに耐えられなくなってしまった。普段の通勤で見る景色でもふと過去のことがよぎると、それだけで辛くなる。過去の物、過去の場所を見るのが怖い。なんか妙だ、これじゃあ何でもない日々の体験・記憶がどんどんトラウマになっていくようなもんだ。
でもこれは年を取ってきたことに関係しているのかな。変えられない過去に付きまとう嫌な感情が沸き上がったとき、それを抑えるだけのエネルギーが無くなってきた。以前なら、これからの生き方で過去の汚点を塗り替えられたかもしれないけど、今は過去が未来より重くなってきた感じがする。

仏が浦

2022.5.13
5月の連休中父母のアパートに泊まって片付けをしていたが、変な時間に眠くなったり目が冴えたりして休んでばかりいた。炬燵でゴロゴロしながら、姉に貸してもらった志賀かう子の「祖母 私の明治」を読んだ。母が幼少時のころはどんなだったのだろうという思いを重ねつつ、なんだか懐かしい気持になった。
岩手県で初の女性医師になった祖母ミエは、厳しさと愛情のどっちも強烈な人だった。明治時代の士族の特徴のようにも思われ、今はなかなか居ないタイプだ。生活の規律を守り、立ち居振る舞いに気をつけ(ただし放屁は我慢してはいけないと教え実践した)、物を大事に扱う。日常の一つ一つに注意が向けられ、厳しく大事に扱われる。これはこうすべき、という型が決まっている。茶道もそうだが、まず型があってそこに精神性が宿るということ。修行僧のようにも見えてくる。

情報が簡単に手に入る今とは全然違う。一人ひとりに深みがあり、その人らしさが際立っている。「祖母 私の明治」はかう子がミエを看取る場面で終わる。人が生きること、死ぬことにこれほど尊さを感じられるんだということを教えてくれた。
それにしても人は死ぬんだとあらためて思った。どんな死に方でも、最期は一つの息をして終わる。生きることは死というゴールに向けて日々進んでいることだ。死ぬまでに自分ができることは何なのか?亡くなった母がヒントをくれていると思う。人生の終盤に新しい環境に挑戦することになった父がどういう生き方を見せるのか。自分が同じ年になった頃には多分同じようになるんだろうから。

城ヶ倉大橋から望む岩木山

2022.4.28
先日4.19早朝に母が亡くなった。アパートでは普段通りの生活をしていて、亡くなった日には遠方から友達が2人来る予定があり、2組の土産が用意してあった。連絡を受けて葬儀会場控室に駆け付けると、検案を受けてのち安置された母は、まだ眠ったままのように見え、すでに体温がないことが信じられなかった。おそらく苦しまず(一瞬の苦痛か何かあったのかもしれないけど)、この世とあの世の境界をまちがって、ひょいと飛び越えてしまったのではないかと思った。
以前から用意してあった遺書には周囲への感謝の気持ちが綴られ、「幸せな人生だった」と結んであった。母は社交的で物おじしない人だったから、学生時代から最近知り合った人までたくさんの友達がいた。歌や踊りが好きで、多趣味で、楽しみを見つけるのが得意だったと思う。母の人生を思い描くと、生まれながらに幸せな人だったなと思う。最後まで明るく軽快に旅立ったように感じる。

葬儀の準備を進めながら、同時進行で母の代わりに父のサポートが始まった。考えてみると父と昼も夜もずっと一緒に過ごすのは中学以来初めてのことで、あらためて父ことが見えてきた。他人を悪く言わないし、表裏は無く、そのままの人なのだと思う。話し始めると一人語りのように自分の経験したことを話してくれるけれど、言葉のキャッチボールはうまくない。こっちから話しかけた時に、沈黙になることがある。よく理解できない事柄には、どう答えたらいいのかわからなくなるのかもしれない。
社交性・共感性の点で母と父は正反対だった。母は社交的だった半面、時々人とうまくいかないこともあったらしく、これは社交性と表裏一体の性質なのではないかと思う。でも折り合いをつけるのも上手くて、あまり引きずらなかったみたいだ。結局母と父はすごく性質の違う夫婦で、お互い違う生き物みたいな感じだったのではないか。でも大きな喧嘩もせずまあまあ仲良くやってこられたのは、お互いに「そういう人だから」という感じで付き合えたからなのかなと思う。

それにしても60年以上も日常生活を支えていた母に先立たれ、父の状況は激変した。元々家族で話し合っていて、父が残された場合は施設のお世話になることにはしていたので、その方向で話を進めているが、ふと父は大丈夫なのか?と不安になる。父はいつも母とセットだったから、どんな生活になるのか想像するのはとても難しい。でも父自身はもっと不安に違いない。今は同時進行のバタバタで忙しいけど、実際に施設の生活が始まって落ち着いたころ、徐々に辛くなってくることがあるのかもしれない。父の状態は継続的に見守り、支えていく必要を感じる。同時に、人生の終盤戦にどんなことが起こり、どう対処していくべきなのか、父のこれからに学ばせてもらいたいと思う。

2022.4.7
昨日のNHKで縄文の話が特集されていて、その中で凄い話が出ていた!やっぱりNHKはいい番組を作るなぁ。
竹〇史〇先生という、大学に属さない研究者による土偶の新説「土偶は植物や貝類をかたどったフィギュアだ」というもの。クルミ、栗、栃の実など。土偶がよく出た場所と、当時の植生が一致していた。クルミの土偶なんか、殻を半分に割った内側から見た形そっくりだ(クルミの妖精みたい)。遮光器土偶は、不思議で謎めいていて「宇宙人か?」と言われていたけど、なんと里芋に似ている。なるほどこれはありそうな説だ、というか絶対そうだと思った。宇宙人とかそんな突飛なことではなく、もっと生活に密接な「食べ物が採れますように」という願いが込められたフィギュアだったんだろう。

長い木のヘラで作った草刈り器や、細い竹を材料にした籠は編み方が多数あって部分により使い分けられている。漆は特に盛んな工芸だったが、木に塗ればプラスチック製品に似ている。季節によって収穫される食べ物を計画的に、1年間生きていけるように保存した。縄文のことがどんどん分かってくると、今とさほど変わっていない生活ぶりが見えてきた。おそらくつい最近の昭和まで農村に残っていた知恵の多くは、縄文時代から繋がっているものだろう。
縄文人は知恵を絞って自然を利用していたけど、すべて自然に帰るサイクルの中にいた。当時の人はきっと、自然が大好きで、家族や仲間と笑いあって生きていただろう。生きている実感があっただろうなぁ。現代のように自殺が社会問題化するなんて、想像もつかなかったと思う。

蔦沼

2022.3.25
ある雑誌に、香山リカさんがこの4月にへき地医療の総合医になると書いていた。精神科医を辞めるのだという。1週間後だから、今頃忙しく引っ越しの準備をしているのだろう。
これまで社会問題を鋭い言葉で明快に解説してきたけど、「ペンネームを使った精神科医」にはうさん臭さも言われてきた。でも”元々自己肯定感が高くなく、書くことでの有害性に耐えられなくなり、このままではだめになるという危機感から「暴挙」に出た”ということらしい。
まじめな人なんだと思った。外に向けて発信することは、それが独り歩きしてしまうということだ。受け取り方は様々で、人を助けることもあるし結果的に傷つけることもある。その積み重なりがどんどん重くなり、方向転換を迫られたのだろう。そこに居続けることができなくなったということであり、次の道に進めるパワーがあるということでもある。そのことを自己開示したことが素晴らしい。

陸中中野駅

2022.3.22
昨日は今年始めてのウォーキングに出かけましたが、久しぶりで妙に不安でした。この季節に海岸を歩くとどのくらい寒くて、どんな防寒具がちょうどなのかわかりません。股関節や膝も心配だからあまり長くない方が?とかいろいろ考えました。冬の間じっと籠っていたので、野生の感が働かなくなったのかもしれません。でも頭の中でシュミレーションしているうちに、なんとなくイメージが湧いてきました。するとイメージが勝手に動いて、なんとなくゴールまで思い描けました。

何か計画を立てた時、熟成させる時間というのが大事な気がします(無意識の仕事でしょうね)。自然にイメージが描けたら、あとはただリラックスして実行のみ。でも実際にはイメージと違うことが必ず起こって、そこに意外性があって面白いわけです。逆にイメージ通り過ぎることもたまにあって「あれ?なんか変だ」と調子が狂ったりしますが。
今回は鰺ヶ沢駅から北金ヶ沢まで。ずっと向かい風の中を歩き、曇っていて時々雪が混じりました。爽快感には程遠かったのですが、それでも帰ってから、やっぱり行って良かったなと思います。それは多分体が喜んでいるから。体が喜ぶと心が喜びます(逆もまた真なり)。
体は使うためにある。体をちゃんと喜ばせてあげることが大事。意識しないと、日常の生活ではどうしても体を忘れがち、無視しがちです。

2022.2.23
昨日はNHKのクローズアップ現代+を見ました。新宿歌舞伎町のトー横キッズの取材でした。家庭や学校に居場所をなくしてタムロする中高生。オーバードーズ、自傷行為、結局生活費を得るためにパパ活と、一見軽くてほんとは恐ろしい世界が現実に展開しています。パパ活の女の子たちは意識していないかもしれないけど、毎回深いところに一生消えない傷を負い続けているはずです。今意識の外に追い出していても凹んだ時には頭に浮かぶし、夢に突然出てきたりする。そして死ぬまで記憶を消すことはできない。
あらためて、人生ってどんなに悲惨で辛いことになるかわかったものではないなと思います。今の日本社会では一度負け組になったらなかなか這い上がれない、ましてこんな幼い時からこの試練とは。
社会のサポートが議論されていましたが、それ以前に親という仕事は本当に心してかからなければならない、簡単ではない仕事だと思うのです(・・おじさんっぽい意見だな)。

大船渡湾の朝

2022.2.19
連日北京オリンピックが始まって2週間、今テレビ番組表の半分位を占めています。選手たちは国やら応援部隊やら沢山の気持ちを背負い、ボロボロになるまで頑張って、それでも結果が出るとは限らない。痛々しくて見ていられません。私としてはオリンピックはお祭りなんだから1回出たらそれで良いじゃないかと思うのですが、偏りすぎかな(でも自分のブログなので偏った意見で良いことにしておこう)。日本の最近の傾向なのか大相撲もそうですが「引き際の美学」は流行らないみたいです。
オリンピックって何のためにあるんだろう。国の威信にかけてなんてことなら、ない方がずっといい。ROCワリエワちゃんのドーピング問題、とりあえずかわいそうです。何があったのかわからないけど、本当のことを全部正直に話させてあげないと、ずっと荷物を背負ったままにさせるのは良くないと思います。国や組織がこのまま嘘をつき続けさせるつもりなら、人格の否定です。

そもそもSDGSが叫ばれ、持続可能性、特に地球温暖化にまじめに立ち向かわなければならない今、国の利益のために武力行使なんてどういうこと?プー〇〇はなぜウクライナに侵攻・・ニュースを見るたび怒りを通り越して悲しくなります。ちなみに戦車の燃費は100mだそうですよ。あ・・話ずれまくりでしたね。
でもカーリングはもぐもぐタイムとかあるし、負けても関係ないので見ています。

城ヶ倉大橋

2022.2.14
吉村昭の「星への旅」(短編集)新潮文庫を読みました。
昨年みちのく潮風トレイルを歩いた時、田野畑駅から野田駅に北上するつもりだったのですが、ほぼ同時刻に来た南向きの電車に乗ってしまいました。焦って島ノ越駅で降り、次の汽車を待つことになりました。この駅の待合室にはくつろげるスペースと書棚があり、吉村昭の本がそろえてありました。生前、田野畑村が好きで良く訪問していて、「星への旅」は鵜の巣断崖の星空のイメージで書かれたものだそう。汽車が来るまで読み込んでしまい、その先が気になっていました。

書かれたのはほぼ自分が生まれた時代です。無気力な若者が集団で無目的な死に向かう話でした。戦後高度経済成長期のエネルギッシュな時代、学生運動に向かう学生たちがいて、逆にそういうレールに乗れず、無気力に陥る若者たちが生み出されて始めた時代だったんだと思います。現代から見るとちょっと時代のズレを感じるのですが、それは同じ無気力同士ながら仲間意識があり、温かみが感じられるからでしょうか。今の若者は個性が尊重される一方でもう少しバラバラで、表面的な関係性で生きているような気がします。
その他の短編も「死」をテーマにしたものが多く、おそらく当時として前衛的な、斬新な視点に引き込まれます。吉村昭という作家は人間の無意識にあって見ないようにしている世界をえぐろうとしていたんだと思います。「う~ん、7割方はちょっと違うけど3割は自分の中にもあるかも?」と思いました。

種市駅前

2022.2.12
今日は3連休の2日目です。この地域、オミクロンコロナが多く出ているので、出かけてもお店に入にくく、完全に自宅待機です。今盛んにテレビを賑わせている北京オリンピックは、何だかあまり見る気になれません。
高梨沙羅ちゃんがスーツの規定違反で失格になったり、羽生結弦くんが右足首を痛めながら4回転半ジャンプを飛んで転倒したり。たまたまライブで高木美帆選手の1500mを見たのですが、滑り終えて2位に終わった時のあまりのショックに魂が抜けたような?姿を見たとき。こんなにまで自分を追い込んで、そして結果が出なかった時の姿が見ていられないのです。私としてはメダルが取れない選手の辛さが、メダルが取れた選手の喜びよりはるかに刺さって、見るのが辛いです。

十和田湖 休屋

2022.2.10.
先日スマホの端末を新しくすべくショップに行きました。中国製の〇〇というのが安くて性能が良いとのことです。アイフォンは慣れないし、日本製アンドロイドだとコスパが悪い。お店の人のお勧めは断然中国製になります。連日ニュースで人権問題を見せられ聞かされているので、できるだけ中国製は避けたいと思うのですが、、ここで日本製を選ぶことは経済観念と矛盾します。迷いつつ納得できないながら、買ってから後悔するとしたらどっちか?と自問自答して、結局〇〇にしました。なんだか自分がいい加減な人間に思えて凹みます。一方で店員さんの話を信じるなら、日本は物作りで中国に負けていってるのかなと寂しくなりました。

追加でもう一つ店員さんの情報あり。ちょうどキャンペーンで新たに契約すると△△(これも中国製)の端末が無料で、3ギガだと最低月980円で契約できるといいます。〇〇の保証750円?を付けず、もう1台契約するほうがオススメ・・6か月経過したら解約できるので、△△端末は○○の影武者として取っておけばいいとの情報をくれました。変な話です。明らかに私は得なのですが会社としてマイナスの話ではないかと。店員さんは契約が取れてリベートが入るのかもしれないですけど・・釈然としません。
ちなみに同じショッピングモール内に同系列の値段高めのブランド店もあり、職員は行き来しています。客を取り合っているのか協力しているのか、今の商売のやり方がもはや分からず、またモヤモヤしてしまいます。

下北尻屋崎

2022.2.08.
今日少しだけワードプレス&JINをいじることができるようになりました。知識はまだまだ1%位と思いますが、いよいよ書き始めます。使い方を勉強しつつ、記事を書きつつの同時進行で行きたいです。いつの日か自分の身近な人や、もしかしたら同じような考えの人に共感してもらえるかと思うと楽しみです。一方で・・どの範囲の人が見ることになるのか想定できないのがけっこう怖いです。変なことを書いてしまって人を傷つけたらどうしよう。このブログがどう展開していくのか、イメージできません。

八戸 葦毛崎