久慈~小袖海岸へ 船渡海水浴場
不思議の国の北リアス
雑感

雑感3⃣2024.11.8

2024.11.8
入院して鼠経ヘルニアの手術を受けた話。
9月の東京ウォーキングで、左鼠径部が膨れているのに気づいた。以前から長時間歩いた後に違和感を感じていたのもあり、自分で観察してみたのだ。これは鼠経ヘルニアに違いない・・日常の生活には困らないんだけど、放置して治るもんでもないし手術だなと思った。そして10月近医を受診して診断を受け、入院の日取りが決まった。

11月6日 8:30受診し外来診察を経て病棟へ。入院の体験は初めてなので新鮮だ。トイレの場所を案内されたり、TVカードを買ったり。朝から絶食なのですぐに点滴を入れられ、心電図の端子を装着された。本を読んだり、テレビでは折しもアメリカ大統領選挙の開票速報が流れていた。指定された午後1:00前に最後の排尿を済ませ、ストレッチャーに乗ってザール・インとなった。天井を見たまま、病棟の混雑を結構なスピードで移動するストレッチャーは大人のディズニーランドみたい。

オペ室にはたくさんの看護師が待ち構えており、予定の1:30より早めに執刀医の先生が来てすぐに腰椎麻酔。うまく入らないと痛い思いをするのかな?とちょっと心配したけど、局麻でチクッとした後、あっという間に麻酔薬が注入された。この先生うまいな・・と安心。
髄腔内に麻酔薬が入ると両下肢がジワッと熱くなる。数分の間に臍から下の感覚が無くなり、同時に両下肢が宙に浮いているような不思議な感覚を味わった。手術中はぐいぐい引っ張られたり振動があるけど痛みは全くない。最後にステープラのカチカチと音がして皮膚が縫合され「ハイ終わり」となった。

そしてまたストレッチャーのディズニーみたいな小旅行で部屋に戻り、セーノでベッドに移された。自分ではどうにもできない状況なので完全な受け身でいい。そいういう状況は赤ちゃんの時以来だなと思った。全部お任せというのは楽だし、ちょっとした冒険みたいで悪くないなという気がした?

ところが・・問題はその後。気づくと右足がベッドから落ちかけている。真っすぐだと思っていた左膝は曲がってカエルみたいにだらしなく外側に開いている。でも自分ではどうにも動かせず、必死で手で引っ張ったりしたが下肢はものすごく重く自分では無理。こんなことでも看護師を呼ばねばならず、この患者神経質だな~と思われないかと妙に気を使う。

「腰椎麻酔が切れるまで尿閉になることがあります。夜11:00まで自尿がなければ導尿します」という説明は聞いていた。自分なりに様子を見ていたが、下腹部が張って苦しくなってきた。左右の背中がギュルルと鳴り、尿が尿管を逆流しているような音がした。これは11:00まで持たないと判断し午後7:00ナースコールで導尿をお願いした。かなりの量が出て(もちろん導尿時の痛みもないけど)落ち着き、「次は自尿で行けるよう頑張ります!」と宣言。
ところが間もなくまた張ってきて、おむつに出そうと試みたが無理。陰部~お尻周辺の感覚が戻っておらず全然ふん張れない。午後10:00残念ながら再びナースコール。前回の導尿からわずか3時間にも関わらず相当量の排出があり、1枚のオムツでは溢れるほどだった。

下腹部が楽になってその後眠りに落ち、ふと目覚めるとまた下腹部が張っていた。午前2:00・・またまた導尿?と絶望的な気分になった。ふと気づくと両下肢が動くようになっており、試しに踏ん張ると尿道の感触が少し感じられた。ナースコールで尿器を用意してもらい、痛みをこらえて体を起こし自分の力で排泄した。思ったような勢いはないけど、最後まで自力で出すことができてとても嬉しかった。すごい達成感!

下肢の麻酔の醒め方は前面から始まり背面に移っていった。そしてお尻と陰部の感覚が最後に戻った(麻酔開始から12時間+α)。デルマトームという脊髄神経の支配領域を現わす図では人が4つ足動物だった頃の神経支配の名残があり、まさにその順番で上から回復していった。肛門と陰部は脊髄の一番下の神経(仙骨神経領域)に支配されている。

そんなわけで、手術そのものは痛みもなくとてもスムースに進行したのだが、その後の麻酔が切れるまで身体的にも精神的にも辛かった。短時間眠った以外は、おしっこのことばかり考えていた。導尿をされるたびに申し訳ないやら情けないやら・・こんなことなら、最初に先生に説明された時にバルンカテーテルを留置してもらった方が楽だったなと思った。

翌朝はゆっくり体を起こし、トイレまで自分で歩いた。起き上がりと横になる時に腹筋に力が入ると患部が痛む。でも歩き自体はそんなに負担を感じない。午前中に主治医が来て「トイレまで歩けるならいつ帰っても良いですよ」と言ってくれた。
すかさず「じゃあ今日これから帰ります!」とわがままを言い、ラインでタマに迎えを頼み11:00に退院となった。

初めての入院は、わずか1泊だけなのにとても辛いものだった。自宅に戻り、居間のソファーで横になると、自由にしていられることがこんなにも幸せなんだ・・ということに気づいた。

病室内

2024.11.5
先々週の土曜日、うつ状態に陥っていた。土日とか3連休とか、よくあると言えばあるんだけど、大分ひどい感じになっていた。そういう中、たまたま夜10:00からのNHK土曜ドラマ「3000万」第4話が入った。主人公の主婦(安達祐実)が・・関わった闇バイトの事件で人が殺されたという設定らしかった。

沼に2週間前に沈められた男が浮かんでくるのでは?という不安が頭から離れない。家庭でもコールセンタ―の仕事中も、心ここにあらず。イライラしてクレーマーの客にキレてしまう。夜眠れば男が沼から上がった姿が夢に出てくる。そしてその沼に異常がないか確かめに行くという無意味な行動・・。そうやってどんどん追い詰められていく姿が描かれていて、感情移入してしまった。

罪を犯した事実は消えないわけで、無いことにはできない(世間が忘れても、自分の記憶からは消せない)。きっと世の中には同じようなことで苦しんでいる人が沢山いるはず。普通の感覚ならば死ぬしかないと思う状況だとホントに思った。自分だったらそんな状況に置かれてなお、生きて行こうなんて思えないだろう。
そして思う・・自分はいろんなことで落ち込んでいるけど、この主人公に比べたらはるかにマシだよなぁ。

そういう訳でこのドラマを起点にちょっと前向きな気持ちになり、日曜は少し元気になっていたのだった。
自分より大変な人が居るということ・・それに比べて自分はマシと認識すること・・ちょっと後ろめたい感じもするけど、うつの治療法としてこういう方法も実際にあるということなのか・・自分だけ?

2024.8.12
一昨日の夕方、野球を見ながら何となく手持無沙汰になり「そうだ、酒でも飲もう」という邪悪な考えが浮かび、良い結果にはならないだろうなぁと思いつつビールを飲み始めた。1本飲むと調子づいて日本酒1杯、更にウイスキー水割りを1杯飲んだ。この辺でもう気持ち悪い眠気に襲われ、テレビをつけたままウトウト・・そして目覚めると、野球は表裏が2回進んでいたので2、30分程度の時間が経ったようだ。

その後、どうにも気分が落ち着かない。テレビを観続けるのも、本を読むのも、片付けをするのも何もかも億劫だ。ウロウロと無為に歩き回るしかなくなってしまう。「あ~ぁ、自分はやっぱり駄目だなぁ」と思う。いっそこのまま寝る時間まで飲み続けようか?とも思うが、それは体が辛い。仮に飲み続けても、酔い始めのような気持ちの良さはもうない。惰性で飲み続けるだけになってしまう(体に負荷をかけるだけ)。
早めの時間に飲むといつもこうなる。遅い時間にアルコールを飲んでそのまま寝るのはそんなに問題ないんだけど・・何でだろう?

どうも、酔いが醒めていく時に決まって不快な気分が起こる気がする。寝酒だと眠っている時間に抜けていくので、不快に気づかないだけなんじゃないか。やはりアルコールは体だけじゃなく精神に良くない気がする。薬物(アルコールを含め)で強制的に気分を上げると、反動で落ちるのが当たり前だよなと思う。

これまでこういう不快気分に陥ると、決まって自分の人間性に関わる問題のような気がしていた。普段隠れている問題が姿を現すんだと。だからこれは自身の病的な部分が変わらない限り、どうにもならないんじゃないか?そんな風に考えが内面に向かう傾向があった。

しかし単純に考えてみると・・アルコール離脱時に起こる不快感を、とりあえず避けるべきではないかと思う。アルコールを摂取しない、そうすれば離脱時の不快を感じないで済む。
同じように、気分がすぐれず何もしたくない時、ちょっと無理してでもトレーニングをすると1時間で気分が変わっていることがある。そういう経験と知識で自分をコントロールして、気分よく落ち着いた時間を過ごすことが、まずは大事なんじゃなかろうか。

大脳辺縁系で起こる不快感やいろんな情動。それを冷めた目で見ているのが前頭葉。これまで何となく、辺縁系を否定しないのが自分らしさのような気がしていた。本能とか感性とか好き嫌いとか・・それが自分らしさだと。生きてきた時代(昭和)的にも、そうだったような気がする。
これを令和的に考えると、前頭葉が辺縁系を上手に飼いならすのが楽に生きる方法ということになる。嫌な気分になる刺激を避け、いい気分になる行動をすることで、辺縁系は穏やかに前頭葉のコントロール下で過ごすことができる。辺縁系と前頭葉がぶつかり合わないことは簡単に言うと楽だ。だからと言って、決して自分らしさを失うことにはならないんだということ。

湯島聖堂

2024.6.4
そろそろ餌台に雀の子が来ないかな~と思っていたら、きのう突然来はじめた。今日は2,3羽まとめて来た。体は一回り小さく、毛はボサボサで、黒とか茶色の模様がまだぼんやりしている。そして動きにキレがない。
毎朝餌をやって見ているので、今が最初の巣立ちの時期なんだと分かった。そういえば以前の今頃、怪我をして飛べなくなった小雀が庭でうずくまっていたことがある。保護したけど結局死んでしまった。巣立ちは外敵に襲われやすい時なんだろう。

小雀は親と一緒に来て、餌が目の前にあっても親に口移しでもらおうとする。その時の仕草が可愛くて、羽を下げて体を小刻みに震わせる。自分を可愛く見せるのが本能的に備わっているんだな。その姿を見せられた親は、自分は一切食べずせっせと餌を口元に運ぶ。
子雀は親たちと違ってまだ警戒心がないのか、ずっと餌台の上にいる。長く食べ続けるので、間もなく胸の所がぷっくり膨れてくるのが分かる。食べ過ぎてお腹は大丈夫だろうか?

こうして親子雀の様子を見ていると、とても癒される。親子の愛情は生物の種を超えて全く同じなんだよなぁ。人の親子関係もこれで良いんだ・・本能のままで。

我が家の雀たち

2024.5.16
還暦を迎えるにあたり、前夜祭的な温泉旅行(人生最高の贅沢だった!)、お花やケーキ、各方面からのメッセージ、お酒やお菓子や置時計などの贈り物を・・これでもかといただいた。人の気持ちってありがたいと・・普段はそんなに意識しないけど、こういう時に気づかされる。そういえば前の職場を引退する時も、思いがけずたくさんの贈り物をいただいた。

あらためて「還暦」になってみると、達成感や明るさより、やはり重~く感じるものがある。もうやり直しは効かない、これから先はどうやって下り坂を歩くかだ。疲れやすくなったし1日に複数の予定を入れられない。エネルギーに満ちていた若い頃のように、現状をひっくり返そうとしたり、新しいことに挑戦したり、密度の高い時間を送ることはできないだろうと思う。

だけどあいかわらず頭の中はまとまらない・・人生の方針が立てられないのは10年前と同じだ。違うのはエネルギーが無くなってきたこと。新しいことに挑戦しようとした時、ハードルが高いんだよな。あー疲れた!ってなる。しばしば、ただゴロンと横になっていたいと思う。そして1日のパターンが少しでも崩れると疲れるので、型にはまった生活になってきた(その方が楽)。

これが老いの始まりなんだよな。でもいつまでも生きていたらおかしいわけで、寿命の中で登り下っていくのが地球に生まれた生き物の宿命だ。そういう中で今、健康で何不自由ない生活があることは幸せだと感じる。少なくとも若い頃のように苦しくはなくなった。今の境地に達しただけでもretrospectiveに見れば、まあまあの人生だったと言えるんじゃなかろうか?
そう思うと、この先いつ死が訪れてもそれほど命を惜しく感じる必要はない。人生の主なところは大体過ごしてきたわけで、これから先はおまけみたいなものだから。

だから執着を捨て、心の赴くままに時間を過ごそうと思う。

花巻温泉台川

2024.4.26
4月23日父が整形外科病院に入院した。
4.16 父はサ高住にて発熱あり、その後転倒・腰痛、尿閉がどういう順番か立て続けに起こり、バルンを留置され寝たきりになっていた。受診のため部屋を訪れると、父は上体を起こすことも寝返りを打つこともできない。本人は「寝てればなんともない」と言ってのんびりした雰囲気なんだけど、このままでは褥瘡が出来てしまうと不安になった。というのは、施設内で誰かが責任を持ってケアしてくれている感じがしない。
父は寝たままストレッチャーに移し替えられ、介護タクシーに私も同乗して整形外科病院に向かった。

あらためて老いを感じた。サ高住では腰痛でベッド上動けず、テレビ画面が見えない方向で寝かされたまま1週間。電話まで行けないので、線を伸ばしてオーバーテーブルの上にセットしてあげたけど、それは必要ないというので驚いた。
一人の時間を過ごすには刺激が必要・・という自分の中では固定観念があったけど、今の父にとってそうでもないのかもしれない。

受付を済ませて2時間以上、なんの声もかからないままだったが、父はストレッチャーの上でただ目を閉じていた。タオルケットを掛けられて汗ばんでいるので暑くないか聞いてみるが、ちょうどいいという。診察室に入ると急にバタバタと話しかけられ、入院しますか?と聞かれ「まあどうにもならないですな」と答えにならない返事をした。体も動かないけど頭も動かなくなってきたみたいで、もはやされるがままという感じだった。

5時過ぎ、入院した部屋はテレビのない個室だった。自動で閉まるドアがあるので・・自分からは動けないし、看護師が入って来ない限り、体裁のいい保護室に隔離されたと同じだ。新しく立派な建物だけに外の物音や空気の動きなどの刺激がなく、感覚遮断甚だしい。これは精神が病むんじゃないかと感じた。老人ならおそらく簡単にせん妄を起こすだろう。

それにしても病院という所は非効率の極みだ。入院手続きが煩雑過ぎる。どうでもいい書類に同意者の氏名、生年月日、年齢、住所、電話番号などを書く(形式主義)。1枚ではなく何枚もの同意書に同じことを書く。MRIの検査同意書なんて・・整形外科に入院したのにその検査を拒否する家族がいるだろうか?せめて1枚の紙に必要事項を網羅して、署名1つにしてもらいたいものだ。
そして医師、看護師(外来・病棟)、コメディカル、事務、ケースワーカーと多職種が関わってくれるのはいいけど、連携が良くないとカオス化する。
AIが多くのことを効率化していくこの時代に、全く進歩しない医療のシステムに時代錯誤を感じる。とにかく建物は立派だ。医療は儲かるからハード面は良くなるんだろう。でも肝心の人手は不足している。にも拘わらず「医療は人だ」という理想論があって、例えばいつでもナースコールを押してくださいと説明されるが、いつでも対応できるだけの人がいるわけではない。むしろ「緊急時以外はこの時間帯に押してね」と決めるとか・・現実的に患者が使いやすい方法を工夫しないと。ただでさえ医療スタッフの業務量が増えているこの時代・・何かが上手くいっていない感じがしてモヤモヤした。

弘前公園西堀

2024.4.12
脊椎の話・・結局4.2に予約をとり、4.8に2年前受診したE先生の所を受診した。ところが不思議なことに電話した後から腰の痛みが引いていき(これはヤバいと思ってわざと庭作業をやったりしたけど)、受診当日はほとんど無症状。無理やり予約を押し込んでもらったのに・・都合悪かった!照れ笑いをしながら診察室に入ったような情けなさ。
でも整形ではよくあることらしく、E先生は以前と同じく穏やかに対応してくれた。MRIの予約枠まで取っておいてくれたのでスムーズに事は運んだ。もっとも検査前から、2年前と変わりないだろうと予想はついたけど・・結果同じだった。

ただ①腰痛・左臀部から下肢背面の痺れがこれまでの問題だったんだけど、最近②左肩甲骨裏側の深い所の痛みと、左上肢背面の軽い痺れが気になってきた。この2つは同期していて、庭作業した後などに①②が相まって苦しい。でも考えてみると②も相当前からのもので、姿勢の悪さ-首が曲がってるための凝りなんだろうと思っていた。

今回E先生はC2C3椎体が癒合している奇形について詳しく説明した(前回のMRIでは直接影響はないとしてスルーされた)。この2椎体は一体化しているだけでなく、ねじれて傾いている。だからか・・記念写真ではいつも、正面を向いているつもりなのに顔が左上を向いている。うつ伏せになった時顔を右に向けることができない。
その傾きから首や肩に負担が掛かり、凝りやすいし経年劣化で血流障害や椎間神経の圧迫症状も起きやすいんだろう。今のところ腰部脊柱管に所見はないので、もしかしたら頚部脊柱管の問題から左上肢・左下肢の症状が出ている可能性も無いではないらしい。体幹を鍛えることが大事と言われた(これ2年前も言われたなー)。

いずれにしろ手術するほどの症状ではないとのことで、ほっとした。実際に手術してから腰痛に苦しんでいる人を多く見かける・・手術前より酷いとなれば後悔しても遅い。やっぱり手術しないに越したことはないよな。

亀甲町広場

2024.4.1
今日は息子が社会人として世に出た記念すべき日だ。巣の中の小鳥が自分の羽で飛び立ったようなそんな日だ。おめでとう!!人間である息子は・・自分の手と足で未来を切り開け!先のことははとりあえずどうでもいい、今を思いっきりやってほしいとワシは願っている。

その一方、自分の腰はさすがに無理になってきた。3月23,24の引っ越しでやられ(重いものは決して持たないよう意図的にサボったのに)、3月30冬囲いの撤去作業でやられ(重いものを持つ作業はないけど、脚立の上でちょっとのけぞったかも)、続いて昨日のちょっとした庭改装作業(土と石の移動はちょっときつかったか?)。

ホーマックで見繕ってきた肝いりのアルミ製カート!!これが実に優秀で、庭作業にドンピシャリ、ばっちり威力を発揮した。ほとんどの物を自力で持ち上げずに乗せ、運び、降ろすことが出来た。あっというまに愛着が湧いてしまい、庭を移動する度に押してあるいていたら、思いがけず老人カーの役割まで果たしてくれた。良い道具というのはカワイイものよ。

そんなわけで、腰ベルトも使用して細心の注意を払ったにも関わらず「ガラスの腰」が悲鳴を上げた。なんじゃこりゃ!!この程度の作業でもこんなんなら、これから先ウォーキングに出かけるのも無理だし、庭作業も日曜大工もできない。平日は仕事(なぜか仕事には支障がない)をまじめにやってるのに、自由な休日に思ったように動けないなんて空しすぎる。ワシはまだまだ歩きたいし動きたいのだ!!

・・やはり整形外科に受診しよう。2年前にはストレートバックと言われたけど・・受診して手術の希望も伝えてみようと思うのだ。
しかしその後タマに聞いたのだが・・2年前の受診後に筋トレとウォーキングを頑張って体幹筋トレーニングをやってた時期があり、少し良くなった実感があった。受診もだけどそれもやるべきだな、早速明日から再開しよう。
しかしこのつぶやき記事はなんなんだ?

2024.1.14
今日も冬ウォーキングに出かけた。K市までの12キロ余りで、先週の神社よりは少し楽かなという距離。曇り空の下、国道に沿って淡々と歩いた。

途中でファミマに寄ってサンドイッチとコーヒーを買ったが、店を出ようとした時イートinスペースに気づき入ってみた。外で食べるよりよっぽど快適だ。ゆっくり座っていると、日が入り温室みたいにほっこりしていて大変よろしい。
しかし後で気づいたのだけど、コンビニのeat inを使うと消費税が10%になるんだった・・にも関わらず途中レジに戻って、これチンしてもらえます?とか堂々と要求していたのだった(バイト店員も特に指摘なし)。

その後、道の駅の休憩スペースでも暖かく休み(恵まれすぎ)、3.5時間ほどで目的地にあっさり到着した。買い物なんかでお店に行くとすぐに腰が痛くなるんだけど、なぜか歩くのはできるんだよな~不思議(ミステリアス)な腰。
今回は淡々としてほとんど冒険的な要素がなかった。でも普段は車でしか行かない町に歩いて行くと、その町を違った角度から見ることになる。乗り物で行くと自分の住む場所と離れた場所でしかないんだけど、歩くと連続した場所になる。それはちょっとした発見なんだよな。

2024.1.8 成人の日
今日は青空で、窓の日差しが気持ちよかったので、突然の思いつきにより山の神社まで歩いていくことになった(すぐ雪が降り始めたけど)。4時間の雪中行軍により何とか辿り着いたのは良かった。でも参道にある目当てのラーメン屋さんが、到着と同時に登り旗を降ろし始めたのにはがっかりした(商売する気があるのかないのか・・)。でもすぐに気を取り直してお参りを済ますことが出来た。そこは大人なので?

さすがに歩いて帰るのは無謀すぎるのでバスに乗ることにした。ラーメンが食べられないので近くの建物の軒下で30分ほど時間を過ごし、それからバス停に移動して10数分。首回りと靴がじっとり濡れていて、日暮れと共に寒さが染みてきてちょっと辛かった。坂の下からヘッドライトが見えるたびにバス?と期待を込めて見る。もしかして来ない?と疑ったりもした。

そして数分遅れで来てくれたバスに乗り込む。車内の空気は温かいわシートはやわらかいわ、何もかも天国みたいだった。その感覚は学生のころ、冬山を登って降りた時以来だ。かじかんで感覚の無くなった指先にじんわりと温かさが蘇る。毎日の恵まれ過ぎた生活では、そのほっとした感覚を忘れてしまっている。

バスターミナルに着き、ショッピングセンター地下で神社で振られたラーメンを食べた。夕方の食事スペースは空いていて、見渡してみるとちらほら男性高齢者の人が一人で食事をしていた。ある人は食品コーナーで買ったお弁当、ある人はラーメン食べながら豆乳をコップに注いでいた。なんかちょっと生活の一部という風情。

この近くには最近マンションが立ちならんでいるのだけど、そういう所で暮らしている一人暮らしの男性なのかもしれないと思った。定年退職して1日中一人で部屋の中で過ごしていると、きっと1食ぐらい外で食べたいと思うだろうな。でも一人だから、結局黙って食べるしかないんだと思うと気の毒になった。将来の自分はこうならないようにしないと・・自分は多分耐えられないと思うので。

2024.1.7
去年も今頃、吹雪の日に山に行ってえらい目にあったのだけど・・昨日も山の温泉に行った。なんでまた?ということなんだけど、結局吹雪が好きだしその中で温泉に入るのが好きなんだよなー。
露天風呂に浸かって目の前の真っ白な稜線を眺める。お風呂から稜線まで続く斜面の落葉樹の木々の梢が、渦巻く風に揺すられて無限に不規則な動きを繰り返す。目の前の木はちょうど木の葉のような形に枝を伸ばしている。自然な木は「いかにも木」という形に成長するんだよな。

のしのし降る雪と、通り過ぎる霧と、目の前の湯から立ち上がる湯気・・それら真っ白なもやもやをメガネを外した視力でボンヤリ眺める。露天のぬるいお湯が体温と一体化してくると、身体感覚が徐々に消えていく。そうすると雪の中に立つ木々と自分が一緒になったかのような感覚がやってきて、自然の一部になった気がする・・そこまで行くと良いんだけどその一歩手前という感じまでは行く。それが気持ちいいんだよな。
お風呂上がりのマッサージチェアーとアイスがまた良かった。

そしてちょっとオープンな気分になったので帰りにドミノピザに寄った。ピザ屋さんに行くこと自体初めてなので勇気がいる。店員さんたちは全員ものすごく若い。カウンターで対応した店長らしき男の人は、声がキンキンして良い声なんだけど早口なので聞き取れない。今から焼き始めて大丈夫ですか?と問われるが「ハイ」と答えるしかない。
何を注文すればいいか決められないので、一旦メニューを受け取り待合の椅子に座わって検討。種類が多くて写真がピザだらけ(当たり前?)で情報過多。サイドメニューが2つ選べてお得とか書いてるけどますます混乱。

検討している間に次々と客が来るんだけど、皆さんあらかじめネットで注文していてスマートに受け取って帰る。そのお客さんたちも全員若い。予約なしで店に入るのは自分たちだけみたいだった。
そしてふと店全体を俯瞰して見た時・・椅子に座ってメニューを眺めている自分たちが、もはや老人的な感じがすることに気づいた。おそらくカウンターの店長は、何度も聞き返す自分のことを難聴と思ったことだろう。