2025.6.15
この土日の出来事。特別用事のない2日間だったけど、やったことを書いておこうかな(つまりただの日記)。
土曜日:早く起きすぎた・・5:00AM!
週末はいつもこうなるんだよなー。金曜はハメ外したくなって夜12:00まで、ダラダラ酒飲むのが良くないのは分かってる(アルコールは睡眠の質を悪くする)。
ちなみに金曜の夜入ったドキュメント72時間は五所川原市の、お婆さんが夜だけやっている蕎麦・うどん・おでんの店だったけど、なかなか凄かった。
ダルいけど庭の草取りを始める。標的はスギナとヤブガラシ(毒ブドウ)。今年スギナはデタラ取ルデタラ取ル方式の実践中で、確かに勢いがなくなってきたような気がする。ヤブガラシは一旦出たらオワコンと言われるらしい庭の大敵なんだけど・・これもスギナのついでに今年1年やり続けてみよう。
10:00予約で美容院へ(6週間ぶり)。100円ショップに寄ってプッシュピンを買い、さくら野で合流したタマの意見を聞きながら、世話になっている人へのプレゼント購入。
家に戻ると風除室に娘からの父の日プレゼントが届いていた(泣)。クチナシの鉢・・この辺りではあまりなじみのない花だ。調べると梅雨時期に香りの良い白い花を咲かせるという。つぼみが沢山ついている。渡哲也の「クチナシの花」を口ずさみながら・・娘の小さい頃を思い出した。プレゼントを贈ろうというその気持ちが嬉しいんだよなぁ。
監視カメラのピンがカラフルでポップ(威圧感がない!)なので、透明なピンに打ち換えた(けど、これもかわいい感じになってしまった)。
午後ヤマダ電機の下請け電気工事屋さんから電話あり。BSは今日も写りませんかと。そして日曜日の見積もり予定時間が決まった。
これは2週間ほど前・・BSが映らなくなり、玄関の呼び鈴が鳴らなくなった。まとめてヤマダ電機に依頼していた件であった。
その電話をもらった直後ふと思いついた。「そういえばBSのパラボラアンテナに柿の木の枝がかぶってたな・・前からだけど最近伸びたしな~」。さっそくスマホで調べるとすぐにAIが答えてくれた・・可能性大!脚立を出し、長い柄付きの鋸でガリガリと結構切り落としたところ普通に綺麗に問題なく映った・・自分の考えの無さに愕然とした。
朝から、結局1日中ダルくて、昼寝と夕方寝をしたら夜になった。
日曜日:よく眠って起きたら動く気になっていた。
2階の窓・トイレ・洗面所・自分の部屋・2つの子供部屋の網戸とサンの掃除~1階の居間や北側の浴室・洗面所・トイレも同じくやった。サンは死んだ蜂やらなにやら一杯だった。掃除の方法が中々難しいんだけど、やってるうちにコツが掴めてくる。
まずペットボトルの水を流し、使用済み歯ブラシで磨き水で流す。狭い所は濡れたクリックルワイパー(お尻ナップでも可)で割り箸を使ってこする。クイックルワイパーは何度でも洗って使える。
これでこびり付いた黒カビや土埃がきれいになった。一旦やり方が決まると、どんどん片付くのが嬉しい。
そうこうしているうちに電気屋さんが来た。玄関の呼び鈴は経年劣化により、多分ボタンのところがイカレテるらしい。工事の予定となった。BSについては前日の自分の処置により問題ないので、それは一つ良かった。
次に窓外の清掃。1階の窓に水を吹き付けては窓拭きワイパーでかたっぱしからやっつける。流れた土埃がサッシの下枠にカタを作るので、洗車ブラシに水を付けてさっと洗う。サンの汚れも、流れ落ちてきた水と一緒に洗車ブラシで流していく。ついでに雀のエサ台も外して水洗い。
合間に玄関の土埃を掃き、濡れたクイックルワイパーでタイルを拭いた。風除室のベンチも取り出して、傘立のデッカい壺も動かして、蜘蛛の巣や埃を数年ぶりに掃除した。
更に余裕があったので、隣家との境界に生えているヤマブキを木塀に括り付け、はみ出した枝を切りまくる。そして、タマが昨日貰って来た子ねぎたちのベッドづくり(斜め45度の土に寝かせる)。ついでに少し前に植えていたミニトマトとピーマンの苗が大きくなり、間隔が近くなりつつあるので植え替えた。
土日はほとんど一人で過ごしたので、気になっていた家の問題解決をやった。次の休みはカイヅカイブキの内側の広葉樹たちの剪定やろっかな~という気になった。

2025.2.16
タマが、所属する劇団の30代女性に「え?タマちゃんのだんなさん、インドにも行ってたんですか?山に登ってたと聞きましたけど、インドにも?」「それって80年代によくあったと言われる自分探しの旅ですか?どんだけ自分を探してたんですか!?」と言われたという。
それを聞いた私は「え?自分探しの旅は80年代の流行りだったの??」。若い日のモヤモヤをたった一言で定義づけられた気恥ずかしさ。でも「なんだかそんな気がしてたんだよな~」と腑に落ちる気もした。
自分がインドを旅した80年代は「自分探しの旅」という言葉はまだ使われていなかった。多くの若者が小田実の「なんでも見てやろう」を読み、バックパックを背負ってインドに行った。藤原新也の「インド放浪」がバイブルとなり繰り返し読んだ。
「不確実性の時代」や「モラトリアム人間」を読んで、アイデンティティーという言葉を使うのがトレンディーだった(トレンディー??)。
少し経って「自分探し」という言葉が使われ出し、社会に適応しにくい若者たちが「終わらない自分探し」と揶揄されるようになった。そして自分もちょっと下の世代を「軟弱になったもんだ」と思ったりした。だけど振り返ると・・自分こそが自分探しの張本人だったんじゃないか!
80年代の「自分探しの旅」は確かにその時代の空気だった。それをやったことで何がどう変わったの?ということなんだけど、プラス面マイナス面、両方あったと思う。旅に出る前は自分が根本的に変わるんじゃないか?と過剰な期待があったけど、結局そんなに変わらなかった。でも世の中を広く見渡して、自分の置かれている日本・大学・家、そういう環境がどういうものなのかを離れた視点で捉え直すことはできたと思う。
その旅は複雑で総括することができず、これまで放っておいてある。
親や社会という縛りから解き放たれ、初めて一人で立つ自由を謳歌していた。それは思春期にやるべき課題を20歳になって体験したことで、同世代に比べると周回遅れだったと思う。旅は今でも人生の花だったし、旅をしたこと自体は後悔していない。でもあまりに自意識過剰で人の役に立たず、そればかりか迷惑を掛け散らかしたという思いがある。
自分探しには麻薬性があったと思う。旅から戻っても学生というぬるま湯に浸り切り、結局ずっと自分探しばかりしていたように思う(これぞモラトリアム人間)。苦しんでいるような振りをして現実に向き合っていていなかった。気が付くと卒業の時期が来て、押し出されるように慌てて進路を決め、仕事に就き、今だにこの仕事してていいんだろうか?という思いを引きずっている。自分こそが「終わらない自分探し」の代表取締役だったんじゃないのか?!
30代女性の劇団員にとって「自分探しの旅」は理解困難なことらしい。今の時代、自分探しは過去の概念なのかもしれない。今の若者は自分探しをしないのかな。じゃあどうやって自分を探すんだろ・・探さなくても大体わかるということかな?それとも分かる必要がないのかな?
