雑感4⃣2025.12.20
2025.12.20
先週のドキュメント72時間は「秋葉原メイドカフェにお帰りなさい」だった。メイドさんとお客さんが両手で♡の形を作り、飲み物に「美味しくなあれ、もえもえキュ~ン!」と魔法をかける。
客層がいろいろで・・独身男性はもちろんだけど、団体さんや、理系の大学に通う若い女性が一人で通っていた(その人はメイドさんになれるくらいカワイイ)。「何か押していたいんです」という。
新社会人というこの人もカワイイ女性。あるメイド一筋に通っている。同世代で仕事の大変さを話したり励まし合ったりする。自分を応援してくれる人が欲しい。そして支えられるだけじゃなく、メイドさんの支えになっていることが嬉しいと(もう直接友達になったらいいのにと思う)。
ある若い男性も一人のメイド押し。「心からご主人さまに楽しんでもらいたい」というメイドさんの気持ちが信頼できるという。ほぼ毎日2年間通っているというが(行き過ぎでは?)。
男女混合のグループが居たけど、一人のメイド押しの集まり。一緒に盛り上がるけど、個々が何者なのかはそこまで知らないという。お互いに「ご帰宅名」で呼び合う。普段の会社とは違う世界、仲間と過ごせる時間がストレス解消になる。そこは非日常で、もう一人の自分になれるという。
ここで読書している人、編み物をやってメイドさんに見てもらう人、大学の課題をやっている人もいる(空きコマの時間をここで過ごす)。
メイドさんとの会話にもどかしさを感じている人がいた。嬉しいとか可愛いとか萌えとか、何かしらの心の動きをうまく言葉にできたら・・と考え、実践しようとしている。自分と向き合い、コミュニケーションの取り方を真剣に学んでいる。
あるメイドさんは20年以上続けているけど「永遠の17歳」なんて言われてレジェンド化している。赤ちゃんを抱っこして来た女性は、何かあると報告に来る実家みたいな感じなんて言っていた。
女子大学生・・小さい頃にはまっていたプリキュアとかセーラームーンのようなキラキラしたときめくような世界と似ているという。今の時代、現実世界とは別の「おとぎの国」が必要なのかもしれないな。
50歳で工場に勤務している男性・・「リアルな世界とここは別の世界。少しでも自分のことを気にかけてくれるのが嬉しい。リアルで辛い分、こっちで楽しみたいのかも」と述べた。リアルの仕事が終わったらまたここに戻ってくるのが生活の一部のようだ。
なんだか不思議な世界だった。お客さんたちはただ娯楽で来ていると思いきや、それぞれに深い意味を持っていた。一部の人は日常生活のアンバランスをここで正しているようにも見えた。
2025.12.7
映画「東京タクシー」を観た。一人の女性(倍賞千恵子)の大変な人生が、運転手(木村拓哉)との1日の会話の中に凝縮して語られる。人に傷つけられ人を傷つけ、そして大事な人が亡くなる。後悔しても仕切れないものを背負ったまま人生が進む。
どうしようもない思いを抱えたままやがて死が近づくけど、この映画では・・誰かにそれをきちんと伝えることができれば、これから生きていく人に、何かを引き継いでもらうことができる・・そうやって人と人は繋がっていくんだと思った。
やっぱり映画はいいなぁ。
2日前に観たNHK総合の深夜番組「時をかけるテレビ」のことも書いておきたい。
遠藤周作の「海と毒薬」を高校生の頃に読んだが・・戦時中の九州大学医学部での米国人捕虜の人体実験の話だ。不時着したB29の米国人8人。それぞれに片肺を摘出して生きて行けるか、更に肝臓、脳、胃などの実験手術がなされた。海水から作った代用血液を試され全員が死亡した。
小説で読んだ時は事実に基づくとはいえ小説だし、(大昔の)戦時中のことと、何となく現実感が無かった。
しかし2015年放送の番組では、人体実験の場に居合わせた医学生(当時19歳)だった東野利夫医師が取材を受け、手に取るようにその事実を語っていた。たまたまその場に居合わせた東野医師は、海水から作った代用血液の点滴ボトルを手で持つよう手伝わされた。違和感を持ちながらも止めることはできなかった(これは当時の状況を考えれば当然のことだ)。
第一外科教授の執刀、たくさんの医局員、看護師が関わった。その教授は軍の命令で、医局員は教授の命令で動いていた。
一番の責任者、執刀した外科教授は巣鴨プリズンで溢頸自殺した。「すべての責任は自分にある」旨のメモが残されていた。
手術に関わり有罪判決を受けた医師たち、看護師は死ぬまで事件のことを語らなかった(問題が解消されないまま抱えていたから)。東野医師はもちろん有罪ではなかったが、罪の意識はその後70年間の人生を苦しめた。産婦人科の開業をしながら一時期は神経症で精神科に入院もした。
戦後、関わった医師たちがそれぞれ苦しみを抱えていることを知った東野医師は、事件のことを調べ記録していった。墜落したB29の機長マーヴィン・ワトキンス(何か情報が得られる可能性があるとして日本軍が捕虜として生かしていた)を、昭和55年アメリカに訪ねた。墜落した場所には慰霊碑が建てられており、それを見に来ないかと東野医師が誘った。しかし機長は「日本で無差別に爆弾を投下した自分が、日本に行くことはできない」と述べた。東野医師としては意外にも、この人も同じように罪の意識に苦しんでいたのだった。
こうして戦時下では、人は普段なら絶対にしないこともしてしまう。その時の勢いで過ちを犯すけど、それは一生消えない心の傷となる。今日の「東京タクシー」でも主人公(倍賞千恵子)の過去の体験は戦時下のようなもので、若いからこそ犯した過ちを抱えて生きた人生だったと言える(物語上のものだけど、本質は同じ)。
だけど生きていられるだけましだ・・自殺した外科教授は死んで終わらせるしか方法がなかったわけだから。
2025.10.5
かくみ小路に「ぽのぽの」という小さくてとても良い居酒屋がある。少し言いにくい名前だな~と思っていたけど、店の人に名前の由来を聞いてみるとハワイのホ・オポノポノから付けたとのこと。
その意味を調べてみると古代ハワイアンから伝わる4つの言葉を繰り返し唱えることで、潜在意識の記憶をクリーニングできるというもの。
4つの言葉とは「ありがとう ごめんなさい 許してください 愛しています」。
これらの言葉はウニヒピリ(潜在意識)に対してであり、他人に対して謝ったり許しを乞うのではない。そしてハワイ語→英訳→和訳となってニュアンスが違っており本来の意味はというと・・
ありがとう Mahalo:神視点で見れば、すべての現実は魂の成長のために与えられた機会。感謝しかない。
ごめんなさい Kalamai:光を見せてください(光=神)。相手の神性にチューニングする。
許してください Mihi:あなたも私も神でした。すべてを認めます。
愛しています Aloha:私はあなた、あなたは私、すべては1つ。それは愛の世界である。
こうしてみると4つの言葉はすばらしい。この思想はアイヌ神話、日本神道、その他多くの世界のアニミズムに共通する基本的な哲学だと思う。
すべての生き物、すべての物に神が宿る。それらの神は創造神の分霊であり、創造神の命の表現の1つ。だから私はあなた、あなたは私。私は宇宙、宇宙は私。すべては1つ、ワンネスであるという考え方だ。
先日家に来てくれたKさんが「自分が好きでなければ人を愛することが出来ないから」と言っていた。そのKさんは自身の子供や周りの人たちのことを言う時、いつも良い面を言うのが印象的で、それはとてもいいことだと思った。自分も気をつけなければ・・自分を貶める(おとしめる)ことは他者を大事にしないことになる。ポノポノでいうと神を冒涜していることと同じなんだよな。
2025.8.19
昨日耳鼻科に行った話。以前から耳の穴に髪の毛が入って、家族にピンセットで取ってもらうことがあった。ところが今回はずっと奥の方にあるらしい。右耳がガサゴソガサゴソ・・風呂上がりに綿棒を入れる度にうるさい音がする。
しばらく頭を振ったりして自然排出を試みたけど、音が鳴るだけじゃなくて夜寝ている時に鼓膜のあたりに痛みを感じるようになった。
これは一度耳鼻科を受診すべきだと思い、昨日4:00に仕事を上がらせてもらってS耳鼻科に寄った。耳鼻科は混んでいるものと思っていたけど、夕方という時間のためか季節的にも良いのか、患者が一人もいなかった。何やら時代が変わってしまったように感じた。
すぐに呼ばれて垂直な椅子に固定され、耳穴を診てもらった。するとすかさず医師は、髪の毛が入ってますね・・と口にした。「やっぱりな」と思ったけど、意外な事実もあった。症状は右耳だけだったんだけど右に2本、左にも1本!更に左右とも1本づつ鼓膜に癒着していた。ちょっと痛いですよ~と言われてピンセットで引っ張られ、プチッという音と共に手術は終了した。
何ということ。これまで風呂上がり、耳が臭くなればだめだという見上げた心がけから綿棒を使っていた。それが仇となり髪の毛が耳の奥に押し込められていたというわけだ。
世の中に耳鼻科というものがなければ、一生両方の鼓膜に髪の毛をくっつけて生きていたということになる(想像しただけで恐ろしい)。医師が言うには「耳穴には自浄作用がありますから・・」とのことだった。
いつも「耳きかんず!」と揶揄される自分だが、何だか少し聞こえが良くなったような気もする。綿棒はこれから決して使うまい。
2025.8.2
叔父が亡くなり、葬儀の連絡があった。そこで昨日は、車で途中姉を拾い、M市T町まで長い道のりを日帰りで行ってきた。本当に久しぶりに会う親戚の人たち、中には30年ぶりとか、子供の頃以来という従兄弟もいた。
自分が物心つく前から小学校にかけて、毎年お盆に親戚が集まって、子供たちだけで遊んで寝た。そうやって何日も過ごした夏は夢の世界のようだった。子供ながらに、それぞれの従兄弟に良くも悪くもいろんな感情が湧いていたこと、それが今も残ってるんだよな。
これまでその記憶は自分の中の、閉じられた本の1ページみたいに思っていた。
大人になった自分は、過去の人間関係には気恥ずかしさ、劣等感や罪悪感など・・妙に複雑な感情が渦巻くので、その人たちを避けてしまうところがあった。
葬儀の後、出席者が叔父の家に集まった。そして昔ばなしになった時、当時のことをみんなよく覚えていて、お互いに懐かしく話した。当時のことは、幼かった自分よりむしろ年長の人たちが確かな記憶をもっていた。
穏やかで、お互いを思いやる空気だった。自分という人間の始まりにある、従兄弟たちとの時間は消えてなくなったわけではなく、否定されるものでなく、今もみんなの胸の中に生きていたんだなと、思えて嬉しかった。
そして自分は過去のことを複雑に考えすぎる必要はないのかもしれないと思った。過去は後悔することだらけだけど、未熟ながらその時やれることを精一杯やっていただけなんだから。
2025.6.15
この土日の出来事。特別用事のない2日間だったけど、やったことを書いておこうかな(つまりただの日記)。
土曜日:早く起きすぎた・・5:00AM!
週末はいつもこうなるんだよなー。金曜はハメ外したくなって夜12:00まで、ダラダラ酒飲むのが良くないのは分かってる(アルコールは睡眠の質を悪くする)。
ちなみに金曜の夜入ったドキュメント72時間は五所川原市の、お婆さんが夜だけやっている蕎麦・うどん・おでんの店だったけど、なかなか凄かった。
ダルいけど庭の草取りを始める。標的はスギナとヤブガラシ(毒ブドウ)。今年スギナはデタラ取ルデタラ取ル方式の実践中で、確かに勢いがなくなってきたような気がする。ヤブガラシは一旦出たらオワコンと言われるらしい庭の大敵なんだけど・・これもスギナのついでに今年1年やり続けてみよう。
10:00予約で美容院へ(6週間ぶり)。100円ショップに寄ってプッシュピンを買い、さくら野で合流したタマの意見を聞きながら、世話になっている人へのプレゼント購入。
家に戻ると風除室に娘からの父の日プレゼントが届いていた(泣)。クチナシの鉢・・この辺りではあまりなじみのない花だ。調べると梅雨時期に香りの良い白い花を咲かせるという。つぼみが沢山ついている。渡哲也の「クチナシの花」を口ずさみながら・・娘の小さい頃を思い出した。プレゼントを贈ろうというその気持ちが嬉しいんだよなぁ。
監視カメラのピンがカラフルでポップ(威圧感がない!)なので、透明なピンに打ち換えた(けど、これもかわいい感じになってしまった)。
午後ヤマダ電機の下請け電気工事屋さんから電話あり。BSは今日も写りませんかと。そして日曜日の見積もり予定時間が決まった。
これは2週間ほど前・・BSが映らなくなり、玄関の呼び鈴が鳴らなくなった。まとめてヤマダ電機に依頼していた件であった。
その電話をもらった直後ふと思いついた。「そういえばBSのパラボラアンテナに柿の木の枝がかぶってたな・・前からだけど最近伸びたしな~」。さっそくスマホで調べるとすぐにAIが答えてくれた・・可能性大!脚立を出し、長い柄付きの鋸でガリガリと結構切り落としたところ普通に綺麗に問題なく映った・・自分の考えの無さに愕然とした。
朝から、結局1日中ダルくて、昼寝と夕方寝をしたら夜になった。
日曜日:よく眠って起きたら動く気になっていた。
2階の窓・トイレ・洗面所・自分の部屋・2つの子供部屋の網戸とサンの掃除~1階の居間や北側の浴室・洗面所・トイレも同じくやった。サンは死んだ蜂やらなにやら一杯だった。掃除の方法が中々難しいんだけど、やってるうちにコツが掴めてくる。
まずペットボトルの水を流し、使用済み歯ブラシで磨き水で流す。狭い所は濡れたクリックルワイパー(お尻ナップでも可)で割り箸を使ってこする。クイックルワイパーは何度でも洗って使える。
これでこびり付いた黒カビや土埃がきれいになった。一旦やり方が決まると、どんどん片付くのが嬉しい。
そうこうしているうちに電気屋さんが来た。玄関の呼び鈴は経年劣化により、多分ボタンのところがイカレテるらしい。工事の予定となった。BSについては前日の自分の処置により問題ないので、それは一つ良かった。
次に窓外の清掃。1階の窓に水を吹き付けては窓拭きワイパーでかたっぱしからやっつける。流れた土埃がサッシの下枠にカタを作るので、洗車ブラシに水を付けてさっと洗う。サンの汚れも、流れ落ちてきた水と一緒に洗車ブラシで流していく。ついでに雀のエサ台も外して水洗い。
合間に玄関の土埃を掃き、濡れたクイックルワイパーでタイルを拭いた。風除室のベンチも取り出して、傘立のデッカい壺も動かして、蜘蛛の巣や埃を数年ぶりに掃除した。
更に余裕があったので、隣家との境界に生えているヤマブキを木塀に括り付け、はみ出した枝を切りまくる。そして、タマが昨日貰って来た子ねぎたちのベッドづくり(斜め45度の土に寝かせる)。ついでに少し前に植えていたミニトマトとピーマンの苗が大きくなり、間隔が近くなりつつあるので植え替えた。
土日はほとんど一人で過ごしたので、気になっていた家の問題解決をやった。次の休みはカイヅカイブキの内側の広葉樹たちの剪定やろっかな~という気になった。
2025.2.16
タマが、所属する劇団の30代女性に「え?タマちゃんのだんなさん、インドにも行ってたんですか?山に登ってたと聞きましたけど、インドにも?」「それって80年代によくあったと言われる自分探しの旅ですか?どんだけ自分を探してたんですか!?」と言われたという。
それを聞いた私は「え?自分探しの旅は80年代の流行りだったの??」。若い日のモヤモヤをたった一言で定義づけられた気恥ずかしさ。でも「なんだかそんな気がしてたんだよな~」と腑に落ちる気もした。
自分がインドを旅した80年代は「自分探しの旅」という言葉はまだ使われていなかった。多くの若者が小田実の「なんでも見てやろう」を読み、バックパックを背負ってインドに行った。藤原新也の「インド放浪」がバイブルとなり繰り返し読んだ。
「不確実性の時代」や「モラトリアム人間」を読んで、アイデンティティーという言葉を使うのがトレンディーだった(トレンディー??)。
少し経って「自分探し」という言葉が使われ出し、社会に適応しにくい若者たちが「終わらない自分探し」と揶揄されるようになった。そして自分もちょっと下の世代を「軟弱になったもんだ」と思ったりした。だけど振り返ると・・自分こそが自分探しの張本人だったんじゃないか!
80年代の「自分探しの旅」は確かにその時代の空気だった。それをやったことで何がどう変わったの?ということなんだけど、プラス面マイナス面、両方あったと思う。旅に出る前は自分が根本的に変わるんじゃないか?と過剰な期待があったけど、結局そんなに変わらなかった。でも世の中を広く見渡して、自分の置かれている日本・大学・家、そういう環境がどういうものなのかを離れた視点で捉え直すことはできたと思う。
その旅は複雑で総括することができず、これまで放っておいてある。
親や社会という縛りから解き放たれ、初めて一人で立つ自由を謳歌していた。それは思春期にやるべき課題を20歳になって体験したことで、同世代に比べると周回遅れだったと思う。旅は今でも人生の花だったし、旅をしたこと自体は後悔していない。でもあまりに自意識過剰で人の役に立たず、そればかりか迷惑を掛け散らかしたという思いがある。
自分探しには麻薬性があったと思う。旅から戻っても学生というぬるま湯に浸り切り、結局ずっと自分探しばかりしていたように思う(これぞモラトリアム人間)。苦しんでいるような振りをして現実に向き合っていていなかった。気が付くと卒業の時期が来て、押し出されるように慌てて進路を決め、仕事に就き、今だにこの仕事してていいんだろうか?という思いを引きずっている。自分こそが「終わらない自分探し」の代表取締役だったんじゃないのか?!
30代女性の劇団員にとって「自分探しの旅」は理解困難なことらしい。今の時代、自分探しは過去の概念なのかもしれない。今の若者は自分探しをしないのかな。じゃあどうやって自分を探すんだろ・・探さなくても大体わかるということかな?それとも分かる必要がないのかな?
