2024.1.2
岡田尊司先生の「発達障害グレーゾーン」という本には、発達障害に限らず生きづらさの問題がいろんな視点で書いてある。その中にじわっと沁みてくる部分があった。ASD傾向をもつ回避型の人、あるいは回避性パーソナリティー(この線引きは実際には困難だろう)では心を開くのが苦手だということ。そして親密な関係、信頼しあえる関係を築くためには「心を開くこと」が不可欠だということ。
自分が精神科の勉強を始めた頃、自分の苦しさの根っこは何なのか?診断的にはどうなのか?と思っていた。当時の診断基準DSMⅢ‐Rに見つけた「回避性パーソナリティー障害」がちょうど当たる気がして「自分はこれなんじゃないかと思うんですよね」と何かの拍子に先輩に言ってみた所「そうかもね」と否定されなかったので、ちょっとショックを受けたことがある。
じゃあどうすれば?という方向に考えが進まなかった。パーソナリティー障害というカテゴリー自体が容易でない、治療対象としては難渋するというイメージがあったから。
心を閉ざしていると、わずかなことで相手から拒絶されている、無視されていると感じてしまう。それならこちらも心を開く必要はない、同じように拒絶してやろうと思う。逆に心を閉ざしている人と接すると、こちらも閉ざしがちになってお互いにいい関係が作れない。そのパターンでは人間不信のスパイラルに陥っていく。
もしいじめを受けた時も、心を開けない人はたった一人で耐えなければならない。誰かに助けを求めることが出来ればダメージが全然違うんだけど。
逆に「心を開く」という関門を超えられた人は愛想のよさがあり、人に甘える術を知っている。そうなるためには成育過程で受け止め・見守り・肯定してくれる存在が必要だ。その経験が自己肯定感と他者への信頼感を育むことになる。もし愛着関係をうまく築けないまま成育しても(自分のように)、年齢を重ねても、いつも開く方向に意識したほうがいいと思う。それがこの新年に気づいたことなんだよな。
人が安心して心を開くようになるには、本来は成育環境が大きい。そのために親として、あるいは成人してからは相談を受ける人として必要なのは、安全基地になること。それが愛着形成やそれを取り戻すための土台になる。安全基地になる条件は
1安全性 安全を脅かさない 主体性を尊重し侵害しない(手出し口出しはしない)
2応答性 相手が求めたことに答える でもいいなりになることではない
3共感性 相手の視点で考える 心が開かれた状態でいる
と言われる。
カウンセラーのように人の支援に関わる仕事の役割の一つは「安全地帯」になることだと思う。そのためには心を開く必要がある。「心を開いた状態」とは相手に対してオープンなだけでなく、自分自身にも開かれた状態-素直で先入観のない状態。それは・・
・相手に対する新鮮な関心:相手のことをもっと知りたいという姿勢。相手が感じていることに関心を向ける。
・ありのままに受け止め、認める:自分の価値観に縛られず、判断せず、助言しない。
・真っ白な気持ちで向き合う:初めて出会う人であればある意味容易だけど、その人との間でゴタゴタが起きた後もそうあり続けること。
心を開けるか開けないか?が幸せな人生と言えるか言えないかの大きな分かれ目になると思う。何の仕事をしても、家族が居ても独り身でも、その礎にある問題だから。
心を開くことで相手と繋がり「安心や信頼」が生まれる。それはお互いに恩恵を受けることであって、援助する側ーされる側のどちらか一方が受けるものじゃない。だからカウンセラーや援助的職業の人は、大変でも元気に仕事に向かえるところがある。
自分は幼少時の物心がついた頃、すでに親に甘えられなかった。今それはほとんど生まれながらのもののように感じられ、起源までさかのぼることができない。ただ4歳の誕生日・・十勝沖地震の記憶―その時の自分の気持ちを振り返ることはできる。不安で怖がりで心細くて、でも親や姉や近所の人たちに遠慮する孤独な自分だった。基本的なところは今の自分とぜんぜん変わらない。
幼いのに周りが見え過ぎていたと思う。親の機嫌が悪そうな時は遠慮した。親は自分の気持ちを全く分かっていないと思ったし、分かるはずがないと思っていた。そういうことはもう諦めていた。子供らしくするにはどうふるまえばいいか、親戚の子たちを見て真似したりしていた。この世の中で自分はまるで異星人で、自分は一生こうして演じて生きていくんだろうと思っていた。
そういう子供がどうしてできたのか?今のところ良くわからない。でも父方祖母が泊りに来たことがあって、その時父の子供の頃にそっくりだと言われた。父も大人しい子だったと。
父は小学生の頃、親戚に養子に出されたことがある。たくさんの兄弟(8人兄弟?)の中でなぜ父が選ばれたのかといえば、他の兄弟に比べて素直で物分かりの良い子だったのかもしれない。父も周りが見えている子供だったのかもしれないなと思う。
でもどうしても家に帰りたくなって結局戻ったと聞いた。その時自分が出せたのは良かった。
多分、父から自分に引き継がれたこの傾向は遺伝だろうな。社会性の弱さと敏感さが同居していて、それゆえに人の気持ちを読み過ぎてしまうという・・そういう発達障害の一種なんだろうという気がしている。