2022.4.10
カーテンを開けると絶景。朝食を摂り、7:40車に乗り込み急ぎ出発。
小本津波防災センター、兼岩泉町役場出張所、兼小本駅になっていて立派な建物だ。真ん前に駐車。
戸を開けるのがちょっと恥ずかしくなる待合室。デイパックを背負った若い女性が一人、旅馴れた感じで入ってきた。
突然イスラム的な列車が来た。小本と田野畑の間はほぼトンネルなので、異国で夜汽車に乗っているような気分になる。車内に表示があり、大震災の時にクエートが贈ってくれた列車なんだそう。
列車はあずき色でこんな感じ。駅できれいなトイレを使わせてもらう。売店に「欽ちゃんヌードル」があって懐かしい(子どもの頃に家の店で売っていた)。ポットとちょっとしたテーブル椅子があって、その場で食べることが出来る。
かつては海水浴で、すごく賑わっていたらしい。この駅からそのまま浜に出られるようになっていた。
大震災の慰霊碑もあり手を合わせる。田野畑村では29名の犠牲者があったという。
北山崎クルーズ観光船の乗り場になっている。海水浴場と合わせてまさに、北三陸の一大観光地だったんだな。今は人口が減り、休みといえばレジャーに出かける時代でもなくなり、コロナもあって大きく変わってしまった。
海沿いの車道を進む。
ここから先が「鵜の巣断崖」になっていて、元々海岸沿いに歩くことが出来たらしい。今は地盤沈下のため(大震災後かな)、海岸が波に洗われている。川を越えて山道に取り掛かる。
しばし登ると民家に出て、黎明台団地、島越郵便局がある。ずいぶんきれいに整備された場所だと思ったら、大震災で被災した人たちが高台移転した所らしい。
黎明台団地を過ぎると、「小〇」(こまる)の幟を立てて三閉井一揆を率いた弥五兵衛の墓があった。目の前の畑では、3人ほどがのんびりと休憩していた。
これは岩手県の特徴と思うのだけど、庭木がきっちりと剪定してある。時にきっちりし過ぎている気がしないでもない。
「望洋館」という公民館がある。建物の右手を回り込んで下っていくのだが、草刈りをしていたおじさんが指し示してくれた。
枯葉がものすごく深く積もっていて、雪を漕いで歩くみたいだ。
山を下り、枯れ川を渡り海に向かう。
誰かがものすごい勢いで歩いてきたと思ったら、朝に小本駅の待合室で見かけた女性だった。今朝は田野畑駅から歩いてきて、小本駅まで行くのだそう。自分たちも必死に歩いてきたつもりなのに・・早すぎる。
かつては海岸を歩くために作られたトンネルだったんだな。歩けたら気持ちいいだろうけど、今は波が迫っていて怖い。
さっきの女性に追いつかれる(年の差を実感)。ノースフェイスのウォーキングパンツをはいて颯爽としている。埼玉から来て、1週間ほどかけてあちこち歩いているとのこと。新潟方面や東北の残雪期登山、みちのく潮風トレイルも何度か歩きに来ているのだという。
広々した松林の場所に出た。観光客が何組か来ている。
「星への旅」の小説の抜粋。
カール状の断崖がいくつも重なり、その向こうに小さな三角形の島が見えている。そこが島越のようだ。手前の砂浜とトンネルは真木沢海岸。
ここで休んで、お昼の弁当を食べた。
鵜の巣園地から陸側にしばらく入り、トレイルの標識から左の山道に入る。今度は山道を逆に、海側に向かって進むがとても長い。
最後に急坂を下っていく。
周辺の樹木がそろって枯れているが、おそらく津波で潮をかぶったのだろう。
じわじわ登っていくと急に開け、ゴルフ場に出た。御殿崎展望所がある所だが、ここは見に行かなかった。
ゴルフ場から先、トレイルを進めばおそらく明るいうちに小本に着くのは困難と判断。45号線を目指して行くと次から次と酪農家があり、牛が沢山いる。田野畑牛乳とかヨーグルトとかアイスの原材料はここだった。
45号線に出た。ジュースを買い、ここのベンチで休ませていただいた。
つづら折りの急な下り。壁のように見える「緊急退避所」のスペースが、3か所ほどもあった。
小本の町並みを歩いて駅へ。商店や古井戸があり、歴史が感じられる町だった。
わりと長時間のウォークになり、疲れた。もし後半のトレイルを歩いたら沢越えをあと2回繰り返すことになり、時間的体力的に難しかったかなと思う。今回はこれで良しとしよう。無理は禁物だ。