2024.4.28
一昨日のNHKドキュメント72時間を見たのだけど、ちょっと衝撃的だった。今回の取材は池袋のフィギュアとか古いおもちゃ買取りの店だ。
そこに来る若者にはそれぞれ「押し」のキャラクターがあって、フィギュアとかバッジとかを集めている。ゲームや漫画で出会ったキャラクターに入れ込むらしい。気持ちが別の「押し」に移っていくと、それまで集めたグッズを売りにくる(値段はどうあれ、世話になった「押し」を捨てることはなかなかできない)。人によっては給料の生活費以外を「押し」にほぼつぎ込んでいるという。
ある女性は、お菓子のおまけに入っている押しフィギュアが欲しくて何十個も買ったけど、どうしても当たらなかった。でもSNSで探した相手と交換することが出来たと、嬉しそうにしていた。
この世界は、昭和ど真ん中世代の自分には理解が難しい。昭和はもっと現実的で、地位や結婚や子供や車や家など、目に見えるものを手に入れることに価値が置かれていた。その時その時の気持ちは抑さえて、将来や次世代のために形を残すことに意味があると思ってきた。今はその真逆だ。
それとちょっと関連する感じがするのだけど・・先週と昨日、地元の表現活動をしている若い人たちの集まりに参加した。演劇やら歌やら、色んな表現を雑多に組み合わせたようなイベントだった。活動している人たちはエネルギーを自分らしく発散する充実感?があるし、そこに参加した人たちは価値観を共有できる知り合いが出来たりする。自分の好きなことに没頭する点で「押し」活動と共通するけど、自己表現の要素が強いし、人との関係を広げて行くという社会性がある。
ただ何となく、この活動の最終目的はなんなのか?10年後20年後に何が残されるのか?という昭和的な疑問も湧き上がってきた。その違和感を掘り下げると、具体的には家庭を作って子供を育てるという作業がかけてるんじゃないか?ということに行きつくような気がする。表現活動をホントに若い時(高校大学時代)だけじゃなく、30代40代と続けて、その先も生涯それを続けてもその下の世代が不在だったらそれで終わってしまうわけで・・。その辺はどうなんだろう。
今の若者は急速に変化していると思う。男女の関係は結婚からパートナーにシフトしてきている。その意味は何なのか?というと、自分はまだ分かってないけど・・個人の自由を形に縛られたくない(一緒にいたければいるし、別れたければわかれる)、積極的に子供を作ろうと思わない(しばらく暮らしたうえで、作れる環境が整えばつくればいい)という感覚なのかなと想像する。生き方は自由で、まっさらな人生をフリーハンドで描いていくようなものだ。
でも枠のない自由な生きかたは、その分厳しいよなと思う。我慢しなくていいけど、自分を保っていないといけない。だから大変だと思う。ニュースでは9年後(2033年)には日本の世帯平均人数が2を下回るという。一人暮らし世帯が主流になるわけだ。人それぞれ考え方は違うだろうけど、自分的にはそれは辛いなと思う。仮にお互い相当に我慢することがあっても、一緒に暮らす家族がいないというのは寂しい。
昭和ど真ん中にとっては、パートナーだとフラッと居なくなられても困るから、配偶者とか親子とかそういうしっかりと縛られた形の家族が必要なのである。