気象神社

2026.1.25
先週の土日、急遽東京に行ってきた。土曜17日は高円寺で演劇homeを観た。演劇の後、面会した妻には「どうしたの?!ふやげだ白いきくらげみだぐなってらよ」と言われた。きくらげに例えられるなんて初めてだな~と思いつつも・・確かにその時の自分は、ふやけた感じでフワフワしてボゲら~っとしていて、言い得て妙だと思った。
出口ホールでは、出演者と観客の盛り上がった中でそのテンションについていけず、言葉の理解に時間が掛かり(耳が遠いのもある)、口からは言葉が出てこない。脳の神経と神経がうまく繋がっていない感じだった。

合流した息子と高円寺から池袋に移動、焼き鳥「母家」でビールを飲みながら話した。そして、今の若い人(Z世代)の生きる世界について教えてもらい大変驚いた。
自分の世代と大きく違うのは、生活に占めるSNSの割合がとても大きいこと。多くの情報はテレビや新聞ではなくSNSから得ているという。

そして、例えばXでは「高校の教室にいた残念な人」とか「整形女子の顔は大体こうなる」なんていう絵が出ていて、風貌や言動がディスられる。その情報に接すれば、だれでも残念な人になりたくないと思うだろう。
最近学校内の虐めが動画で流れる事件があったけど、虐めた人、いじめられた人、撮影した人それぞれが非難の対象になる。瞬時に可視化されるわけだから、どこで晒(さら)されるか分からない怖さがある。
そんな訳で、ディスられないように、晒されないように気を付けて生きるようになる。学校や職場では外面の顔(人格の一面)しか見せない。昭和のように強烈な個性が面白がられたり、評価された時代とはすっかり様変わりしたんだよな。
だけど、人の背後にSNSが広がっていて・・それを気にしながら生きるのは窮屈なことだろう。

インスタではきれいな風景、おいしそうな料理、幸せな自分・・そういう理想的な自分を展開したくなる。そしてバーチャルな(作られた)世界がどんどん大きくなり、現実世界の比率が小さくなっているんじゃないか。幸せな結婚や家庭も、SNS上で理想的な自分を表現する手段にされている面があるかも?と想像すると怖い。

SNSにどっぷり浸かっている世代からすると、そうでない世代(40代後半とか50代以降?)は情報の外にある。だからその世代の考え方って分からない、というより興味すらないらしい。だからそこには大きなギャップがある。
私ら非SNS世代からすると、あっさりして没個性的に見える若い世代が、実はただ一面しか見せていないことに気づいていないということ。

それからこれはZ世代に一般的なのかどうかわからないんだけど。将来のために貯金したり、結婚・出産、自分の家を持つという考えが強くないように思う。今の自分しか体験できないことにお金を使う、「押し活」とか、実際に押しと会えるコンサートにお金を使う。そしてせっかくの人生を楽しめるだけ楽しみたい、と言う人がいるみたいだ。
昭和世代からすると、あとに残らない「体験」に金銭を使うことは、贅沢な無駄使いに見えてしまうのだけど。価値観の重点が「将来→今」に移ったのかなと思う。

とにかく、まだちゃんとは理解できないけど、今の若者たちの生きる世界は価値観が大きく変わっているのは確かみたいだ。
ちなみに息子に言わせると、その下の世代は更にAIネイティブな世代になるから「自分たちは、あっという間に古いと言われるんだろうな」ということだった。

JRお茶の水駅

2026.1.12
1.10~12の3連休、たった一人で過ごしている。この家に家族と住みはじめて22年、こんな経験は初めてだ。3連休を迎えるにあたり、かなり緊張していた。
とにかく日常のことをしっかりやろうと思った。そうでないと自分が崩れてしまうんじゃないかと心配だから。

朝は神様・仏様の水替え、ご飯かパンにコーヒーを添え、般若心経を唱える。ヒゲ剃り洗顔、簡単な朝食、そして仏様の上げ物を降ろして食器洗い。冷蔵庫や周りの物を片づけたり、出かける時の服装やらの準備。
日中は雪かきや買い物、家事をすると、なんだかんだで1日の時間が過ぎていく。
夕方も神仏のことをやり、自分の食事には必ず野菜を入れる(まぁキャベツの千切りか野菜炒めだけど)。風呂に入って残り湯で洗濯。晩酌して11時には寝る。そうやって1日1日を決まった型にはめ込んで過ごした。今日が最終日、外は大雪だ。

昨日とおとといは映画館に行き、「50年目の俺たちの旅」、「架空の犬と嘘をつく猫」を観た。どちらも良かった。ただ俺たちの旅は良かったけど切なかった。
50年前、自分は小学5年だった(その頃一緒に見ていた姉は高1ということになる)。「俺たちの旅」は日曜の午後8時に入った。小椋佳の情緒的な曲に中村雅俊のストレートな歌声。悲しさと喜びが濃縮された45分が終わる時、エンディングに「ただお前がいい」が流れ、画面には夕景を背に散文詩が現れる。
自分にとってはその瞬間が辛かったのを思い出す。俺たちの旅が終われば、また月曜が来るから。もしできたら・・自分も東京の大学に入って、あんな青春を送りたいと願った。
「俺たちの旅」は自分にとって特別なんだよな。今は配信やらDVDで見直す方法があるけど、なんか辛くて見れない。

50年後の・・では、田中健と中村雅俊が学生時代の想いを捨てきれないまま生きていた(秋野大作は相変わらず脳天気)。後悔やどうしようもない思いを70代の男たちが引きずっている。
人間は年をとってもただ鈍くなるだけじゃない。弱く、苦しくもがき続けているんだよな。
どうしたって、過去は消えてなくならない。やり残したことは重く積み重なっていく。結局死ぬまで持っていくしかないんだと思う。自分は若い頃、それが分かっていなかった。

架空の犬と・・では子供の時の山吹が背負ったものがあまりに大きくて、その現実は消えることがない。だけど20代という若い時期に、すべてを打ち明けられたことが救いだ。山吹を支えてくれる人がいたからこそのこと。一人のままでは荷物は変わらないないんだよなぁ、人に分かってもらうことでしか軽くならない。

そんなこんなで、映画を友に孤独な3日間をどうにかやり過ごした(と言えるのか?)。
人は色々なんだと思うけど、自分は一人でいることがこんなにも弱いんだということを知った。まぁ前から分かっていたことではあるんだけど改めて。若かったころは、過去より未来がずっと大きかったからまだ耐えられたんだと思う。
でもこの年になると過去の記憶が重すぎて、一人でいるとそっちに引っ張られる。毎日見る夢は過去のことばかりだ。だから孤独は耐えがたい。

妻は命の恩人だと思う。うすうす気づいてはいたけれど(気づくの遅すぎ?)、これからはもっと感謝して大事にしなければと思う。