前年の八戸の海岸があまりに気持ちよくて忘れられず、潮風トレイルを南下していくイメージが、少しずつはっきりと湧いてきた。山菜取りの時期も終わったので出かけることにした。
現地までの移動が大変なので、今回は八戸のホテルに前泊とした。コロナ禍というのに、八戸の町は飲みに出ている若者が多かったが、私たちはデパ地下で買った総菜を食べ、完全に人との接触を避けた。こうすることで、コロナ禍でも遠方に出かけることも可能なことが分かった。
大久喜駅駅前のちょっとした空きスペースに車を置かせてもらった。google mapのストリートビューでは駅周辺の状態を確認できるので便利だ。うみねこラインを歩き、左折して大久喜漁港に出て、以後できるだけ海岸を歩く。
砂浜で何かとっているおじさんがいる。打ち上げられるちっちゃいエビをタモですくってタッパーに集めている。釣りの餌にするという。川があって靴を濡らすのをためらっていると、車道に戻る踏み跡を教えてくれた。
一旦車道に上がってまた岩場の海岸に出た。
砂浜に戻り歩いていくと「はしかみハマの駅あるでぃーば」に出た。家族連れで賑わっていてソフトクリーム食べたり、発泡スチロールの箱持参で海産物を買っている人たちがいた。私たちが海から上がって行ったのを見て、キョドっている人がいた。
左手に海を見ながら「うみなりライン」を進む。いくつもの漁港、神社がある。小舟渡漁港の防波堤に可愛い灯台があって「これが階上灯台なのかな」と言いつつ進むと、広々とした芝生地に出て、ここに立派な灯台があった。トイレがあり、東屋で休む。俳句投稿のポストが設置してあり、私も一句。
「初夏の宿受付女子の八戸弁」
前泊のホテルフロントは清楚で小顔の女子2人であった。標準語だけど若干の南部弁の抑揚があり可愛かった(おやじコメント)。
この後、一旦海から離れて集落の間を行く。角浜漁港の辺りは海と道の細い空き地に、太陽光発電パネルが延々と設置してある。そういう時代なんだなと思う反面、景観は良くない。使い捨てのプラスチック製品が並んでいるような印象。もし津波が来れば全部流されるだろうし、何十年も耐えられる作りには見えない。
そもそもアメリカや中国のように広大な砂漠があれば効率よく大量に設置できるだろうけど、日本のように海に山が迫った地形では難しい。雨も多いから、木を切って斜面に設置して土砂崩れを起こしたという話も聞いた。
行く手の右側、松林の中に種市高校がひっそりとしてあった。「三陸浜街道」の直線道路は普通の車道で楽しくなく、やっぱり海が見たい。川尻川を越えるところが巨大な水門になっており、そこから海側の堤防に上がる。
少しペースが遅くなり汽車時刻が迫ってきた。堤防沿いに歩き途中からちょっと走る。種市中学校の名前が入ったジャージ姿の女子生徒が一人、自転車を漕いでいく。こんな所でいったいどこに行くのだろう。
宿泊施設「マリンサイドスパ種市」を過ぎてすぐ右に登る。そこは種市の古びた商店街になっていて、いきなりのんびりした空気になった。店の前のベンチに何をするでもなく、ただ座っているおじいさんがいる。急に時間の流れが止まったかと思った。
なんだろう、子供の頃に過ごした三陸の空気がふと蘇ってきた。
発車時刻の10分前に到着。程よい疲れと達成感。この感じは樺沢紫苑先生の言う「セロトニン的幸福感」だと思う。駅の自販機にあったトマトジュース(Green DaKaRa すっきりしたトマト 350㏄)を買い車内で飲んだら驚くほどおいしかった。こういう飲み物一つがほんとにありがたく感じるんだな。
八戸線で大久喜駅に戻り、車で八戸を経由して帰った。