久慈~小袖海岸へ 船渡海水浴場
不思議の国の北リアス
散文

「人それぞれ」の社会

今の日本社会への違和感がずっとあったんだけど・・その疑問にかなり明快に答えてくれている社会学者(石田光規さん)に出合ったので、著書を元にまとめてみたいと思う。

日本は今、少子高齢化社会に直面している。国の将来に不安が広がり、少子化対策が政治の大きなテーマとなっている。子育ての負担を減らすための、金銭的援助や働き方が議論されているけど、本質はそういうことじゃないような気がしていた。

若者が結婚しない、結婚しても子供を作らない。でもお節介をするとするとハラスメントと見なされるので、周りではそういうことに触れなくなった。
そうすると、自分から動かないと結婚相手は見つからない。最低限の積極性と社会性がないと、結婚とかパートナーを見つけることもできないんだよな。

国立社会保障・人口問題研究所が5年毎に調査をしている。2018年「結婚をするのが当然」vs.「してもしなくてもよい」のアンケートで、前者は28%、後者68%だった。1993年にはほぼ半々だったのが、年を追うごとに後者が増えている。
だけど結婚したいと思う男女は、どちらも85~90%で大きく変わっていない。ということは「結婚するかしないかは自由」と考えていても「自分は結婚したい」人が多い。これではちょっと、残念な人が多いことにならないかな。

よく話題になる50歳時未婚率という調査があるけど、1980年代までは男女とも2%程度であって、国民皆婚社会と言えた。それが2015年には男23.4%、女14.1%・・グラフのカーブはただいま急上昇中だ。50%を超えるのもそう先のことではないと思う。
結局この流れで行けば、急速な人口減少はまぬがれないよなと思う。

日本は元々閉鎖的で拘束力の強い「村社会」だった。その伝統は戦後、知識人に批判され、自由に生きることが目標とされてきた。それでも世間体という超自我が強かった。
自分たちの青年時代(80年代、90年代)は、最低高校は出る、20代のうちに結婚して子供を2、3人もうけ、男が稼ぎ、女は家事と育児をやる。長男夫婦は親と同居して老後の面倒をみるという人生のレールがあった。
だけどそのレールは2000年頃からにどんどん崩壊して、ついにほぼ失われた。あんなに当たり前だったことが、今の若者の意識にほとんど無いことには驚くほどだ。

今の日本は完全に個の社会になっている。個の社会が成り立つためには、石田さんによると以下のような条件が必要という。
1 物質的な豊かさ。物が不足している社会では物を共有し、協力しないと生活が成り立たなかった(農村など)。
今は消費社会が進み、個室が配置され、家族団らんの場が失われた。テレビのチャンネル争いはなく、インターネットとスマホが普及し、個人が自分の部屋で外の人と繋がることができる。そして商品、サービス、社会保障が行き届いている。
2 個を重視する価値観。「人権と自由」の思想は戦後に始まり、高度成長時代を経て、教育現場では個性を尊重する方向に向かった。個々の「やりたいこと」が大事とされ、1980年代は「自分探し」がブームになった(出たよ)。そして「やりたいことを探して人生を設計」していかなければならない時代になった。2000年代頃からは、更に多様性重視の風潮が強まっている。

「人それぞれ」という言葉は個を尊重するようでいて、じつは個に介入しないこと。今の時代、人間関係を作るには連絡を取ったり約束をしたり、ある程度のストレスも感じつつ関係性を作っていくという手間と労力が必要だ(村社会では好む好まずに関わらず近所とは最初から関係があった)。ネット社会ではコスパに合う相手とだけ付き合えるメリットがあるけど、いろんな人と勝手に関係性が出来るということはないわけだ。

「人それぞれ」で個を尊重するとは言っても、社会的序列はとてもはっきり存在している(勝ち組負け組)。容姿とか頭の良さ、コミュニケーション能力とか。そこで自信の持てない人は関係性を作っていくことができず孤立しやすい。だけど人それぞれの社会では、孤独な人たちを自己責任と見なす傾向がある。それはとても冷たい社会なのかもしれないと思う。社会保障としてのセーフティーネットは発達してきているけど、人間関係に失われた関係性を、埋めることはできないだろうな。

今人間関係を作るためには、ある程度の能力と自発性とバランス、それを支える自尊心が必要だ。結婚も選択肢の一つなのだから努力が必要で、黙っていて結婚できるわけではない。個人は自由なのだから、自分の人生を自分で設計して運転していかなければならない。レールのない人生はある意味すごく困難な道でもあるんだよな。一人ひとりが芸術家みたいな、そういう社会なのかもしれない。人間って難しいな~。